秦が初めて中華を統一し、それから2000年もの間漢民族の領域には様々な王朝が栄えては消えていった。
漢民族の王朝が立ったと思えば、異民族に征服され、農民が反乱を起こして新たなる王朝を築き上げる。易姓革命とは、徳を失った天子の王朝は途絶え、新たなる王朝が栄えることを意味する儒教由来の漢語である。
そしてこの清もまた、その時の流れによって成り立った、開祖ヌルハチから続き漢民族を征服して築き上げられた王朝である。
だが残念なことに、今までいなかった夷狄*1こと西洋列強が押しかけて崩壊しつつあるのが今の帝国である。
明代末期に現在の満州地方に居住していた女真族の王国である後金を祖とする中国の王朝。
1644年に明内部での反乱(李自成の乱)に乗じて第3代順治帝が北京に入城し、その息子の第4代康熙帝の御代に台湾を平定し中華統一を成し遂げた。
その孫にあたる第6代乾隆帝の時代に最盛期を迎え、北京には広大かつ壮麗な庭園円明園が整備された。しかし、その後に遠征や乾隆帝の奢侈*2によって陰りを見せだす。
第7代嘉慶帝以降は西洋列強による侵略が続き、1840年にはアヘン戦争、1856年にはアロー戦争を起こされ不平等条約を結ばされる。
内優も続き、第9代咸豊帝の時代である1851年には太平天国の乱が発生し南部が丸ごと10年間分離独立してしまう。アロー戦争の後結ばれた天津条約に満足しない英仏軍が円明園を焼き払った上、不平等な北京条約を結ばされた後1861年に咸豊帝は崩御。
咸豊帝の側室にして第10代同治帝の産みの親である西太后が幼帝に代わり実権を握る。
同治帝の時代には李鴻章の元に洋務運動が進み、ある程度近代化が進むが1874年に同治帝が崩御、3歳で第10代光緒帝が即位する。
西太后は保守な統治を行うが日清戦争で新興国の日本に敗北し中国の半植民地化を進めてしまう。
後に成年した同治帝はクーデターを起こして近代化を図ろうとするが鎮圧され西太后が最高権力者として君臨し続ける。
その後も西太后の元順調に清の国力は低下し、死後辛亥革命が起き清朝は滅亡する。
中近世の帝国がそっくりそのまま近代に来てしまった国こと清。
軍備もGDPも人口も立派にあるように見えてそのほとんどは見掛け倒しである。
ただし人口が多いということは工業化さえ成し遂げれば強大な国力が得られるということでもある。
政治体制 | 国家元首 | 推定相続人 | 正当性 |
絶対帝国制 | ダオグアング・アイシン・ギオロ | イズフ・アイシン・ギオロ |
名前を見ても良く分からないが、エンペラー・ダオグアングこと第7代道光帝の御代であり、相続人は第8代同治帝である。
領土を売ってでも工業化を推し進めたい。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照