1865年、関税同盟下のベルギーに保護国化を要求。しかしベルギーはこれを拒否したため、ドイツ帝国軍は国境沿いに陸軍を配置。
ベルギーが屈服しないことを確認したドイツ帝国政府は、陸軍にベルギーへの越境を指示。この頃には欧州で1番と言ってもいいほどの強大な陸軍を誇っていたドイツ帝国はベルギーを蹂躙し、保護国としました。
この頃、期限が残り数年となっていたイギリスとの同盟を再び25年ほど延長しました。
1866年、ドイツ帝国は、オランダ領フランドルの割譲を要求。圧倒的な軍事力を前にオランダは屈服。フランドルを割譲しました。ちなみにその後、フランドルはベルギーに割譲しました。従属国の自治権が傀儡国の時に、宗主国が国家形成した場合、その国は自動的に併合されます。だから自由への欲求を下げるために割譲してもこちらには何の害もありません。それどころか全土征服より従属国にして傀儡化した後に国家形成するほうが圧倒的に悪名節約できるのでお得です。
1869年3月、第2次独墺戦争が発生。ロシアが参戦しましたが既に軍質も軍量も我々が上回っており、同盟国イギリスや独立を求めるハンガリーをこちら側に引き入れたこともあり、難なく勝利。オーストリアとカルニオラを獲得し、さらにロシアからリトアニアとポーランド、オーストリアからクラクフやハンガリーを独立させて弱体化を狙います。ハンガリーを独立させ、オーストリアなどのステートを取ると、オーストリアはガリツィア地方と地中海沿岸地方の2つに分断され、市場アクセスが消し飛ぶことが多いので中盤以降の弱体化を狙う時にはおすすめですね。
オランダとの5年の停戦が切れた1871年、オランダとの同君連合であるルクセンブルクの割譲を要求。スウェーデンがやってきたのでスコーネの割譲も要求します。
オランダは折れることなく開戦。といってもオランダとスウェーデンはもはやドイツにとっては小国なので蹂躙します。さらにルクセンブルク戦争と並行し、サルデーニャ・ピエモンテへサヴォイの割譲を要求。戦争になるかと思ってはいましたが、サルデーニャ・ピエモンテは要求を素直に受諾してサヴォイを割譲しました。賢明ですね。
そしてオランダとの戦争も無事勝利。
一連のルクセンブルク戦争により獲得したルクセンブルクをベルギーに割譲する代わりにベルギーの自治権を低下させました。さあ…これで最低限の必要領土を満たしました。
1872年11月3日、ドイツ帝国は過去の遺物だったはずの神聖ローマ帝国の復古を宣言。諸外国は驚きの目とともに安堵の気持ちを浮かべていました。これで奴らの目的は果たされた。これ以上の侵略はなくなる…と。
しかし、そんなことはなかった。同年11月、防衛協定を締結しているリトアニアとポーランドを経済的に統合し帝国の勢力下へ。さらに同時期、陸軍は歩兵のドクトリンに塹壕を多用する革新的な方式を取り入れると共に、軍研究所は化学兵器の研究を開始。帝国は今まで以上に軍事や勢力拡大に国力をつぎ込んでいきました。
さあここからだ。ここまでは単なる前哨戦に過ぎない。