無理のないオスマン
状況確認を踏まえつつプレイ開始
オスマンは知識人君主の上に利益団体が穏健派ばかり。
政府から地主を排除しておく。
好戦主義者地主提督が落ちてたので拾っておく、人気が0なのでちょっと不安だ…
初期研究はこんな感じ、終わったら1世代生産技術を埋めてから通貨本位制度へ。正直通貨本位制度はもう少し早くしたほうが良かった。
騎兵を全部解雇。
転属させて海軍の33隻に合わせたサイズに町営。
あとは適当にサービスや輸送に消費税入れたり、公務員の給料を削ったり色々細かいことをやって終わり。
建設は適当に建設局を3つくらいと鉄鉱山開発。
関心はこんな感じ。適当。
外交はこんな感じで外交改善。
加えてできる全国家にライバル指定。
属国たちはとりあえず兵役免除や上納金減額でちょっとでも独立心を減らす。
地主を一週間ほど政府に出したので民主主義の将軍が登場するようになるので採用。
何人か余計な将軍雇ってしまったが妥協。この将軍がでるまでリセマラが大変だった。
地主を政府に戻しておく。
伝播は最優かな。
任命制の閣僚の審議を開始。
このせいで農奴制オスマンでも穀物価格が大暴騰し無事穀物法発動。
色々元に戻しておく。
現代の保守派イベントで市場自由主義地主扇動者をゲット。
主導権まで与えちゃう。
イギリスに投資権を付与しておく
リオ・グランデから条約港をタダで貰う。リオ・グランデが併合されるとブラジルへの条約港化するから好き。
チュルケスの保護国化外交を飛ばす。
賠償金も合わせtセットで要求、さっき33にした部隊で上陸。
華南にイギリスの関心があることを確認。
チュルケス戦と並行して清から条約港の割譲を要求。
イギリスに条約港の懐柔で呼び出す、台湾の条約港なのだが台湾には港が一つしかないので当面機能しないぞ。
清への要求はこんな感じ、チベットに賠償をつけたのは失敗だったことに後で気がつく。
チュルケスを無事保護国化できた
清の相手?イギリスが単独で頑張ってる。一応かわいそうなので蘭芳に上陸だけしておいてあげた。
1837年2月6日に任命制の閣僚制定。ここから怒涛の政変。
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軍部を政府に入れて国家警備の審議開始。(スクショは後撮りなので扇動者が将軍化してないけど許して)
史実知識人将軍やら新規採用の知識人軍人を雇っては昇格してクビにする。
まぁ知識人将軍を出すために軍部や地主の将軍が更に増えることになる…
結果として知識人の支持が崩壊。
地主扇動者主導のもと知識人と労組による奴隷禁止革命が勃発。
政府を信者だけにします。
退位実行。信者は当面要らないからね。
1837年2月6日奴隷禁止が強制制定され、元君主が扇動者化。
ついでに大統領制可決されたよ。
信者が政府から外れるので阻止。
国家警備の審議は中止。
君主制の審議開始、これで知識人が再度ブチギレる。
地主扇動者二人主導の知識人と農民と実業家による小作農革命が勃発。
政府を信者だけにします。
辞職実行。信者は一時的に絶滅。
1837年2月16日奴隷禁止が強制制定。
同時に議会共和制も可決。
新たな支配者は粛清を免れた知識人で好戦主義者の元軍人。できれば革新的が良かったけど流石にこれ以上ガチャはできなかった。
またこの辞職で民主主義地主リーダーが引退し、市場自由主義地主扇動者兼将軍が後任に就任。
レッセフェールの審議開始、さっきの辞職で農民が強くなってるからほんのり反対勢力がいる。
奴隷制廃止論者の地主扇動者がこれ以上改革することがなくなったので引退。
#内政
任命制の閣僚によって行政力が赤字化し、伝統主義採用で更に悪化が予想されるため行政府を建て増し。
建設速度が遅いので建設局も建て増しして材料は輸入で代用。
大赤字経済だけど清から賠償金貰うから大丈夫なはず。
1837年8月17日証券取引所の研究完了、植民地化の研究へ進む。
オマーン保護国戦争を開始。
奴隷禁止採用したので奴隷禁止も押し付けておく。
オマーンと開戦したらそのままズール戦争を行う。
オマーンとズールを抹殺したらそのままトランスヴァールとオレンジにも。
イギリスと貿易協定を結べたので結んでおく。
1838年10月8日清が降伏。チベットに賠償金要求した結果チベットまで行かないと降伏しなかったため非常に時間がかかった。イギリスくんはもっとしっかりしてくれ。もう少し早く賠償金が手に入る想定だったので経済は結構ギリギリ。
フィリピン割譲で揉めてたのでイギリスと一瞬敵対して独立保障してくれるならそっちに行くよ交渉。
初期エジプトとの停戦協定が切れる頃合いなのでそれまで戦争はしない。
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1839年2月6日レッセフェールを制定し自由貿易を審議。
企業はやっぱり鉄を採用。
市場自由主義地主リーダーが梅毒に罹患。ネタバレするとこのあと死にます。
ref(穀物法の終わり.jpg);
1840年3月13日に自由貿易が制定。
リーダーは梅毒が原因で途中で死にましたがなんとか奇跡的に通った。
市場自由主義地主が死んでいたせいかなんなのかわからんが、穀物法の終わりイベントで地主に支持マイナスが起きなかったので助かる。
地主リーダー死亡後の政府はこんな感じ。
実業家が主流派になってるのと、初期雇った好戦主義者提督が無事リーダーに就任。人気0なので心配してた。
では知識人には政府から退いてもらい、軍人と連立政権に移行する。
職業軍人の審議開始。
ref(植民地再定住の審議.jpg);
1841年1月7日職業軍人を制定し、植民地再定住の審議を開始。
#外交
少し時間を戻して1840年1月1日にエジプトと停戦協定が切れるのでシリア奪還戦争を起こす。
その際に戦略の都合で列強にならないと困るので一瞬だけ公務員の給料を上げて威信を獲得し、即座に戻す
列強と関係改善イベントが発生したので受諾。
エジプトへの要求はこんな感じ。
条約港を建てたので賠償金は戦略の都合上載せられなかった。
ちなみに列強は呼んでない。
恩義あればイギリスと同盟できるらしいのでしておく。
1841年9月29日エジプトが降伏。貰った土地は編入する。
列強を呼ばずに加えて開戦時に職業軍人の制定が終わってないので意外と苦戦した。
タンジマート1進み。
1841年11月26日イギリスの投資権を相互投資協定に上げる。
1840年3月27植民地化の研究完了、経験論の研究へ進むがこれは後で間違いということに気がつく、通貨本位制度にするべきだった。
レッセフェール制定によって行政力が赤字化するが行政府の建設が全く間に合わない…
植民地法を制定しようとしてるので、行政府をもりもり建てていくが課税キャパ割れ地域はほとんど埋めてしまった…
1841年1月1日ジズヤ廃止、ナポレオン戦争が伝播で終わったからかな?この辺はよくわかってない。
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1842年8月30日植民地再定住を制定、人頭課税の審議…と思ったが人頭課税の制定には通貨本位制度が必要なことに気がつく…
仕方がないので完全分離を制定。
宗教勢力は退位&辞職で削ったけど5年経ってるので完全復活している。
ギリギリでケニアに植民できでるので割り込み植民。
ニジェールにも植民。
ref(人頭課税の審議.jpg);
1843年10月7日完全分離制定、賛成が知識人のみなのと政治運動が良心の自由だったので遅い!。
人頭課税の審議、初となる地主が反対する法律。加えて軍部のみ賛成という状態。
ref(公共学校の審議.jpg);
1845年2月19日人頭課税制定、思ったより時間かかった。そのまま公共学校の制定を開始。
行政力は赤字なのでタンジマートは進みません。
#外交
1842年5月30日トリポリ併合開始、大国に落ちてるけど全併合するだけなのでセーフ。
オーストリアが来やがった、しょうがないのでイギリスを同盟国に呼びかかけるで呼ぶ。
1843年1月8日トリポリ併合。
イギリス陸軍のおかげてオーストリアには一歩も引かないけど粘る。
悪名も落ち着いたので1843年5月25日ガザ併合開始。
1843年9月32日オーストリア降伏、普墺戦争勃発のためオスマンにかまってられなかったのだと思われる。
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1844年1月1日日本から条約港を奪う、オスマンだけだと上陸できないのでイギリスを同盟国に呼びかけるで呼ぶ。
1844年4月13日ガザ併合し、そのまま奥地に植民開始。
1845年4月19日日本降伏。
イギリス任せだと上陸戦が遅いのでオスマンがしょうがなく軍隊を派遣して倒した。
ref(モロッコを要求.jpg);
1845年4月20日モロッコを保護国化の外交戦。
西サハラの請求権を破棄させて入植したい。
1942年9月23日とりあえず権力ブロックの対外貿易を消して高度な調査Ⅰを採用。
1843年6月16日途中で研究を切り替えた通貨本位制度が完了。
これで人頭課税が通せるぜ。
行政力はずっと赤字、なんとか人頭課税が通る頃までは改善したい。
行政力が赤字だとタンジマート終わらんのよ。
大学も並行して建てる。
1845年6月20日に大昔にイギリスが支配したフィリピンを巡って英仏戦争が勃発。
同盟国イギリスが清やら諸々と大戦争。
こんな戦争始まると間違いなくイギリスから同盟国として参戦要請が飛んでくる。
こんな戦争オスマンにとって全くメリットないので早々に中立宣言。
1845年12月1日アルゼンチンで植民地反乱が勃発したので、アルゼンチンに奴隷禁止で殴りかかる。
ちなみに一次要求に入れないと折れる。
植民地反乱にチリがアルゼンチン側で参戦したので、チリの請求権破棄で支援。
1846年3月20日米英戦争が勃発したので資金援助で参戦。
1846年3月25日モロッコが降伏。請求権を破棄させた西サハラへ植民。
1846年6月21日米英戦争が勃発、我々には関係ないので即座に降伏。当たり前だよなぁ。資金援助10年貰う。
1846年6月22日アルゼンチンとチリが植民地反乱に屈服、翌22日にオスマンに降伏。
破棄させたところへ植民開始。
1846年9月30日エジプトと停戦協定が切れたのでエジプト奪還戦争を仕掛ける。
1846年12月26日フランス内戦が起きてたので資金援助で支援表明、多分クリスマスプレゼント。
1845年7月26日旋盤、銀行業など軍事以外で最低限欲しい第一世代技術が終わったのでついに参謀本部の研究を開始。
これがないと陸軍タンジマートが終わらん。
この国が行政力不足間近ではないってなんだよ!!!
公共学校通っちゃうよ!!!
1847年1月16日とりあえず権力ブロックの高度な調査Ⅱを採用。
ref(文化的排斥の審議.jpg);
1846年6月11日人頭課税制定、行政力が赤字に逆戻り…高度な調査があるとはいえ制度は重いぞ
文化的排斥の審議
ref
ref(専門警察の審議.jpg);
1847年7月31日文化的排斥制定、専門警察の審議。久しぶりに地主再登板。
エジプトを併合すれば行政力は回復するはずだし、多分審議終了よりそっちのほうが時間かからんはず…
1848年1月1日エジプト降伏。タンジマート+1。
また行政力が回復したため官僚改革タンジマートも終わる。
すいませんスクショがないです…
1848年1月2日ティドレから条約港を奪う。
外交相手が蘭印→オランダと即座に切り替わる。
自治権向上で蘭印を懐柔する。
お前搾取に加担していいのか?
1848年7月2日に参謀本部の研究が終わる。
一斉に製法を切り替える。
1848年7月2日タンジマート達成。目標達成。
法律はこんな感じ。
専門警察を通したあとは頑張って集会の権利を通したい。
まぁ悪くないんじゃない。
ref(最終政府2.jpg);
とりあえず支配者が強い。
実業家伸び過ぎだし、好戦主義者多すぎ。
山盛り。
少なくとも通貨本位制度と官僚改革のタイミングは完全にミスった。
でも個人的にはそこそこ早く改革ができたので良かった。
軍事研究じゃなくて都市化でタンジマートすればもっと早いのだろうが、それやると経済が壊れそう、