今はまだ、バルカン暗部は静かである だが、ギリシャの蠢動が始まっていた
1837年1月
大衆伝達の技術が完成。
これによりテッサリアに対する返還の外交戦が可能になる。
州の返還のアクションはBBR上昇値が抑えられるため、諸外国の援助が得やすい(体感)
そして植民地化の研究を開始
あろうことか建設局の鉄骨建設の方式が木造施設のままだったことに気づき修正。
1838年1月
イギリスが恩義を引き換えに将軍を渡せと言ってきた。
ほかの条件よりもずっといい。
何より、これで外交戦でイギリスに対して恩義を餌に味方に組み入れられる。
新天地で頑張ってくれタマエ。
1838年7月
ふと気づけばエジプトートルコ戦争はエジプトが勝利し、アナトリア中央部を
かすめ捕っていた。よし。トルコがその分弱体化すればいうことない。
1838年12月
植民地化の技術がアンロックされたので、ここで政体を変更し、実業家を政権に入れることにする。
多少正当性が減少するが問題ない。
目的はコレ。なんとしても成立させたい。
1839年5月
ラッキーなことに約半年で法律制定完了。
ただし、副作用として農村民が急進化し、革命を起こしかけたため、慌てて
専門的な警察機構の制定に取り掛かり、沈静化を図る。
どっちにしろ、領土拡大すると社会不安が増加するため、ペナルティ軽減のために
制定したかったのでちょうどよかった。
早速植民地関係の精度変更に取り掛かる。
この間、製鉄所を頂点とした工具、家具などの工場、鉄鉱山等の開発を進めた。