AAR/自由への賛歌

自由への賛歌 第八話

1890年~1901年

1890年
戦傷気分に沸く帝国は慢性的な財政不足に陥っていたため
正統性が下がることを承知で一時的に労働組合を政府内に呼び入れ
比例課税の法案を制定にかかる。
なお、労働組合は1884年以降抑制アクションを獲っていたため
法案制定確率が8.5%という絶望的な所からスタートした。
そして半年後・・・

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当然、皇帝の仰せのままにを選択。
その後何度かのイベントを経て1892年7月についに比例課税を制定

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これで軍拡も施設建造も心置きなくできる。

 

1895年6月、エジプトに宣戦しようと思っていたが、エジプトと
中がよさそうなオーストリア(ビザンツと国境を接している)と
ビザンツの仲が悪いことに気づき、オーストリアと関係改善を行う。
その間、BBR調整のためダルフールに併合の外交戦を仕掛ける。

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1895年9月
ダルフールが屈服。

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インフラがひどい国だが、将来石油が出る所でもあるので抑えていて損はない。
リビアを手中に収めたフランスへの牽制になるであろう

 

1896年12月
ついにエジプトに対し、外交戦を仕掛ける
狙うのはアヘンの出る下エジプト、スエズ運河が引けそうなシナイ、そしてパレスチナである。
将来はここと本国を繋げて東地中海を我がものとしたい。

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1897年4月開戦

 

1897年12月
マラリア予防薬の開発に成功する。
そこでアフリカ分割イベントが起きる。
東アフリカは大分抑えているが、コンゴ周辺はマラリアあひどいため
手を出していなかったが、これから入植がはかどるであろう。

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1898年5月、ナイル川に到達

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質はこちらが上であるが、敵のほうが数が多いせいか
パレスチナを通ってナイルまで進撃するのに1年かかった。

 

1898年7月
エジプト降伏

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豊かな下エジプトを手中にすることができ、アヘンも自給可能となった。
これで益々ビザンツ軍は生協になるであろう。
早速港を作り、インフラを整えたらアヘン農場を建てまくることとする。

 

1901年1月

新しい世紀の夜明けである。

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東地中海の覇権奪取計画も順調である

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東アフリカはほぼビザンツが抑えた

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ビザンツの初めての植民地となった北海道は
大量のギリシャ人が入植し、人口55万人を超える。
なんとブルガリアからの移民もいる。極東のヨーロッパと呼ばれていることは想像に難くない。

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そして、コンスタンティノープルがある東トラキアでは
ギリシャ人は少ないものの、正教会への改宗が順調に進んでいる。

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もう少ししたら遷都してもいいかもしれない。

 

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