AAR/自由への賛歌

自由への賛歌 第四話

1851年~1853年

1851年6月
トルコとの停戦協定が終了していたので再度外交戦を仕掛ける
トルコ属国のリビア条約港を餌にイギリスを引き込む

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がんばってイギリス様!

 

BBRも低いので欲張って色々要求する。

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スコピアは返還請求ができる所ではないが、ビザンツ成立の必須州であり、
そこそこ資源が採れ、オスマン常備軍の兵舎も多いので獲っておいた方が
いいと判断し要求した。

 

1851年11月 満を持して開戦

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1852年3月
サハリンの植民地化完了

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アフリカのケニアに植民を開始する

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1852年4月
戦線は順調。

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ただし、軍事資金を最高にするのを忘れていて、慌てて最上にする。

 

1853年2月
オスマンが降伏。うっしっし。

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これによりGDPが3.5Mから5.9Mに激増し、
人口が2.25Mから3.89Mへ、ただし、識字率が41.3から39.5へ微減した。

 

そして・・・ギリシャの州7つ以上を確保した時、メガリ・イデアを発動できるようになった。

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これを発動することにより、アナトリア西部2州と東トラキアに対する請求権を得られる。

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当然ビザンチウム復活を選択する。

 

なお、今回の戦役で手に入れた西トラキアには養蚕農園を開設できる。これで高級衣料品の
安定供給が可能となった。益々国が富むであろう。

 

次は西トラキアに残っているエジプトの条約港を奪還することとする。


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