AAR/Ver1.9の別ゲーと化したVic3再入門 in ベルギー

実は私、このゲーム序盤しかやったことないんですよね

じゃけんベルギー王レオポルド1世になりきっていきましょうね。

「ゲームの学習」ジャーナルを尻目に、建設局を増やしつつ木材・鉄・石炭のいつものサイクルを開始。最初から製鉄できるのえらい。

法律は「救貧法」から。

研究は製薬・キニーネだった気がするけどスクショ撮り忘れた。

政権は実業家と知識人の連立。

それと折角「散兵」が研究済みなのに陸軍の更新は全くできていないので、弾薬工場の建設も早めに。

大英帝国との蜜月

英仏と関係改善していたところ、圧力団体から「英との防衛協定」とのお題が。

新登場の条約システムを試したところ「勢力ブロックへの参加」でOKを引き出すことに成功。
本当は全方位外交がやりたかった (オランダへのライバル宣言も解除していた) けれど仕方なし、賭けてみましょう。

なお、締結後も実際にはメンバー入りできていなかったため後ほど手動で参加。まだ不具合あるって言ってたわね。

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1838年ロンドン会議

オランダ・ベルギー国境どうしよう問題。

具体的にはルクセンブルクとリンブルフ (ヘルレ州の一部) の帰属。
史実通りこっちが譲る流れだろうなあとか思ってた矢先。

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あれ? 通っちゃったぞ??

1839年1月、ルクセンブルク (改めリュクサンブール?) の編入により完全体ワロン州が爆誕。
リンブルフはベルギー領ヘルレ州として存続。

サンキュー英さん。一生ついていきます。んでもってオランダからの敵視はしばらく続くことに。

ダホメ王国の保護国化

その年の3月には「植民地搾取」法が成立。やっと生地・砂糖・果物の価格が下げられる。
早速トーゴ州に入植開始したところ、たまたまダホメ王国と接することに。

独立を勝ち取ったばかりの新生ベルギー国王軍に、弱い者いじめをさせるカスの所業。
ただし戦時中はちゃんと景気が後退した模様。

これも9月には決着し、以降この植民地はフォン人王朝による間接統治をとることに。「知識の共有」でどこまで強くできるかな?

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ぽまえら働け

孤立主義を取っている日本が「出島貿易」なる条約をオランダと結んでいることに今更気づき。

商品の受け渡しであれば、開国していない国からでも生地・絹・穀物などを得られると分かればやるっきゃない。
侵略なんて要らんかったんや!

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ちなみに孤立主義じゃない国でも取引所が1つも建設されず、通常の貿易が始まらない場合があるみたい。

そういう国からは一度投資権を貰う必要があるのだけれど、気づくのが物凄く遅くなってしまった。
そのうちfixされそうだけどその前なら先行投資が強いかも?

また、1842年の「文化的排斥」、翌43年「比例課税」、45年「公共健康保険」、さらに47年には宗教の「完全分離」と自己ベストのペースで強い法律を通すことに成功。
建設費を確保しつつ働き手もどんどん増やす。

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攻めないと言ったな あれは嘘だ

大変ゲーム的な都合なのだけれど、分割州の統合であればノータイムで編入ができるんですよね。
そんな訳でダホメ州 (現在のベナン共和国、紛らわしいね) の北半分をボルグから割譲させてもらいます。

ちょい戻って1846年、かの国とは関係値が増えていたので開国要求してから「州の征服」を一次要求に追加。

完全併合にしなかったお陰か相手は屈服し、流血を回避。
スンナ派POPが「公然たる偏見」になってしまいますがこれは一旦後回し。

更に1852年、植民が終わったトーゴの残りをアシャンティ王国から割譲。こちらも開戦前に向こうが屈服
(デンマーク領だった場所は予め条約と補填金で獲得)。

ここもフォン文化の母国州なので、ダホメなら2年で編入できる。

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それから次の入植先はモーリタニア州に。列強と揉めたくないので。セネガルも1プロビだけ取れたけれど、これは交換用に。

調子に乗って東隣りのオヨ王国にも仕掛けたところで、ついにオランダからの介入が。

第二次ベルギー戦争

こんなこともあろうかと一応大隊は2つに分け、海軍も20ユニット揃えてはいました。それでも数は完全に負けているので味方を呼びたい所さん。

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…英はともかく、仏さんまでオランダへの投資権であっさり呼べてしまった。関係改善の大切さが判りますね。

1853年9月に開戦。特に見どころもないまま (戦争に求めるなそんなもん)、1年以内にアムステルダムが陥落し無事終戦。
獲得したヨルバ州 (今のナイジェリア南西部) もダホメに譲渡し、ついにフォン文化の母国州すべてが統一されることに。

余談ですが。
ダホメ王国は1818年までオヨ王国の朝貢国だった過去があり、リベンジとなってしまったのかこの後何年も「ヨルバ人の生活水準-6.0」みたいなえっぐいデバフイベントに苦しむことになったようです。
国力アップには時間が掛かりそう。

翌年1854年、戦争中に審議されていた「民間学校」法も無事成立。「公共健康保険」を通しちゃった今、信者IGもまた用済みなのである。

仏「お前用済みな!」

1856年に「自由貿易」、翌57年には「専門的な警察機構」を今更通し、チュートリアルのためにわざわざプチブルIGに政権交代させるなど順調に近代化していた我が国だったが。

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一次要求に体制変更、二次要求に保護国の移譲。関係改善していて後者が一次にできなかった、というところまで一緒である。インガオホー!

おまけにこの世界線のフランスはプロイセンと同盟していたのでさすがに死を覚悟したが、幸い向こうは参戦を断ったらしい。仲良くしておいて良かった。



というわけでイカれたメンバーを紹介するぜ!

英!米!蘭!葡! さらに南米からヌエバ・グラナダ、アフリカからはベナンだァ!

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…はい。

懐柔しすぎて賠償金しか要求できなかったけれど、フランスとこれ以上こじれたくないのでヨシ! ってことにした。
逆にヘルレ州 (リンブルフ) を譲渡したオランダとは一気に和解ムードに。

1858年11月25日、フランス=ベルギー戦争開戦。

約1年でパリが燃えた。

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しかしフランスの戦争協力度はマイナスにならない。

実はアメリカを「タヒチへの投資権」の要求で呼んだのだけれど、誰も! オセアニア方面に上陸していないのである!

結局この戦争は1863年の白紙和平まで続き、フランス全土が荒廃することに。民間人も相当死んでそう。

逆にウチは列強7位に入ったり、初めての集団移入をハイチから受け入れたり (フランス系のクレオール言語を話すらしい)、
いつの間にかダホメも散兵を揃えていたり、翌1864年には「保証された自由」を通せたり。

死傷者が出てGDPは伸び悩んだものの、一応それくらいで済んだ。

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あとはかの国がこれで懲りてくれればいいのだけれど (ネタバレ: 懲りてない)。

普墺戦争キャンセル界隈

1850年フランス革命で誕生した「第二共和政」はプロイセンを敵視せず、それが今回の普仏同盟に繋がったようにみえます。
結果1855年の普墺戦争はオーストリアの屈服という形で回避されることに。

オーストリアと相対するサルデーニャ・ピエモンテはつけ入る隙を見失ったまま、アメリカのみを後ろ盾に1867年にリーダーシップ戦争を宣戦。
敗北によってサルデーニャ島を失い、後に急進派イベントでパルマに編入されることに。

一方で1870年にはフランスがスペインにキューバの移譲を突きつけ宣戦し、同盟網によってプロイセン=ロシア戦争が勃発。
1865年にイギリスに荒らされたばかりだったロシアはまともに対抗できないまま敗北した模様。

結果的にフランスはいつもの狂犬ムーブに戻っていったようです。

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「急に他国の話」って? 外交方針とかいう死活問題の話である。

圧力団体のお題でIGの機嫌を取りがちだったのでポルトガルと同盟してスペインにライバル宣言するなど(米国の機嫌を取って防衛協定を引き出せたので結果オーライ)、
思ったより中立になれない中、露国まで本格的に敵に回してしまった。

その一方であれだけ殴り合った仏国からは関係改善が開始され、びっくりするくらいスムーズに仲直り。
これは「フランスの自然国境」ジャーナルが発動してベルギー全土に請求権が付いてしまった後も変わりませんでした。

フランスとは距離を取りたいけれどプロイセンが怖い。現状維持で。

名付けて『サヘルバイパス』

それと、アフリカで拡張をしようとしてダホメが敵に回ってしまわないよう調整に苦心しましたね。
本当は自治度が下がって傀儡政権に格下げできる状態ではあったのですが、これ以上不安定になられても面倒なので。

さっきのスクショの通り、1867年にマッシーナ王国 (現マリ共和国の一部) を保護国化し、硫黄が採れるティンブクトゥ州を譲渡。
あとはヴォルタ州 (現ブルキナファソ) に入植できればダホメと地続きになれる。
モーリタニア州と内モーリタニア州は直轄領として編入開始。

今思えば、譲渡するのを遅らせてニジェール州にも入植すれば良かったかも?

代替わり

1872年2月22日。「ロータリーバルブエンジン」が人手不足の救世主として期待され、すっかり忘れていた「財産を持つ女性」を制定しているさなか。それは満81歳の大往生でした。鉄道網が発達し、ルクセンブルクがロンドンに比肩する都市に成長する中、跡を継いだ息子のレオポルド二世は、ベルギーをどこへ導くのでしょうか? つづく。

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