各国戦略

概要

東西ローマ帝国に分裂した後にギリシャ地域を統治していた東ローマ帝国は、新興国オスマン・トルコの脅威に曝され続けた後、1453年に滅ぼされてしまう。
オスマン帝国に取り込まれなかった諸島の一部はヴェネツィアの支配下となり、残りは350年以上に渡ってオスマン帝国の統治下に置かれることとなった。

しかし独立の灯は決して消えたわけではなく、オスマン帝国衰退ののち1821年にはギリシャ独立戦争が勃発する。
当初は反乱がうまく進まず苦戦するも、「Eleftheria i thanatos(自由かさもなくば死か)」を合言葉に戦い続け、途中でムハマンド・アリー朝のエジプトに介入されたり*1するものの
最終的にロシアがオスマンに宣戦布告し、1829年に露土間で結ばれたアドリアノープル条約においてギリシャの独立が認められたのであった。

...だがこの独立も、所詮は列強の手の内であり、ギリシャは彼らのご都合で誕生した国であった。
当初列強はナポレオン戦争の後に誕生し大国の利権を適度に守り衝突しないよう作られたウィーン体制を守るべく、英露墺の3国は過度なオスマンの弱体化を望まなかった。
しかしエジプトが参戦したことで世論は独立の容認に傾き、コンスタンディヌーポリ総主教をオスマン帝国が処刑したことでロシアの態度は硬化、みるみるウィーン体制は崩壊を始める。
ロシアは介入目指して行動を始め、隙を見て横からフランスが自国の王族をギリシャ王にしようと目論んできた。ギリシャの分割保護国化、イギリスによる傀儡化など勝手な案を列強で協議した後、
1826年からは英仏露がそろって介入することとなる。休戦をオスマン帝国に強要し始めるもうっかりオスマン主力艦隊を壊滅させてしまうなどの事故や、ロシアが勝手に宣戦布告してオスマンと戦争を始めるなど
列強の足並みは全くそろわなかったが、最終的にはどうにか妥結点を見つけ独立範囲を絞ったうえでバイエルン王国の王族オットー・フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴィッテルスバッハを国王オソン1世にすることで一致した。

ギリシャ人の領域を半分も確保できず、国王は外国人。与えられた独立はギリシャ王国に何をもたらすのか。

略歴

概要がすでに悲惨だが、現実はその先もさらに悲惨である。
紀元前4世紀頃に近隣諸国を統一し世界随一の大帝国を築き上げたマケドニアを最後に、ローマに征服された後オスマンに征服されたギリシャ地方だが、すったもんだの末1829年に独立。
独立後列強の都合で即位したドイツ人のギリシャ王オソン1世は(ある意味当然ではあるが)ギリシャ文化に興味は示さず、カトリックを信仰*2したり重税を課したりした末1843年にクーデターにより退位させられる。
ギリシャ側はイギリスのヴィクトリア女王の次男エディンバラ公アルフレッドの即位を要請し国民投票で95%の支持を集めるがヴィクトリア女王が断固拒否、
デンマークからデンマーク王子クリスチャン・ヴィルヘルム・フェルディナント・アドルフ・ゲオルクがゲオルギオス1世として即位する。

17歳のゲオルギオス1世は先代の過ちを繰り返さないべくギリシャ語を修得し、街中に簡素な格好で出歩きつつ母国デンマークの干渉を突っぱねることを宣言しギリシャ国王として職務を積み重ねていく。
1864年には文盲ばかりの国民に懸念を示しつつ*3も普通選挙を規定した憲法を定める。
その後は領土の拡張と国家の発展に邁進し、1864年にはイオニア諸島をイギリスから割譲、1881年にはテッサリアをオスマンから獲得する。
1897年の希土戦争では敗北に終わり賠償金とテッサリアの一部を割譲させられ国王も非難されるが、翌年暗殺未遂事件を乗り越え勇敢さを発揮し無事国民の信頼を取り戻す。
1912年には第1次バルカン戦争でセルビア、モンテネグロ、ブルガリアと共にオスマン帝国と戦争し大勝利、北のマケドニアとクレタ島を獲得するも
ゲオルギウス1世はギリシャに戻ってきた都市テッサロニキ*4を出歩いている最中、突然射殺されてしまう。

その後第1次世界大戦では中立を貫き、1919年からは再びトルコと戦争するも敗北、現在の国境をおおよそ確定させる、
この敗北により再びクーデターが起き国王コンスタンティノス1世が追放され一部Hoi2プレイヤーに有名なゲオルギオス2世が即位する。
1924年に共和制が宣言されるも1935年に王制が復活、しかし1940年イタリアに宣戦布告されギリシャは消滅する。

枢軸国の敗戦後は政府と共産ゲリラとの内戦が勃発、内戦鎮圧後も政治家の暗殺などテロが横行し
1967年には国軍によるクーデターが発生し王制崩壊、軍事独裁政権が誕生してしまう。
当初経済は発展するもしばらくして失速、1974年には民主化され現在に至る。

初期状況

州名主要都市初期インフラ(使用量/上限)建設済の施設(施設名+初期レベル)建設可能な資源・農業施設(施設名+最大レベル)初期小作農数初期未就業者数州補正(補正名称(補正内容))
アティッカ*5(首都)アテネ11/32交易センター3, 行政府2, 造船所1, 漁港1, 伐採所2, 綿農園2, タバコ農園1, 小麦畑1, 兵舎5, 海軍基地2, 港1, 徴兵センター1硫黄鉱山32, 鉛鉱山21, 漁港8, 伐採所7, 綿農園46, タバコ農園45, 小麦畑45, 家畜牧場44, 未使用の耕作地4485.3kごく僅かなし
ペロポネーゼ*6カラマータ2/15漁港1, 小麦畑1, 兵舎5, 海軍基地3, 港1鉄鉱山21, 漁港10, 伐採所5, 小麦畑23, タバコ農園22, 家畜牧場23, 綿農園22, 未使用の耕作地2230.5kごく僅かなし
西エーゲ海諸島テラ11/6漁港1漁港4, 伐採所7, タバコ農園8, 家畜牧場8, 小麦畑8, 綿農園8, 未使用の耕作地814.0kごく僅かなし

基本方針

先述の通り列強の妥協の産物としてできたこの国には、自国だけで強くなれる要素が何もない。
工業無し、資源無し、人無しと何もないこの国を発展させるのは残念ながら史実通り侵略と征服だけであり、どこかの国に媚びを売るか隙をついてオスマンを叩く必要がある。

初動

やはり近所の国にこびへつらって戦争してもらうのが良い。どうせ人口も資源も無いので自分の市場を作ることは出来ない。
手ごろなのはオーストリア。保護国化してもらい、テッサリア返還の外交プレイをしよう。
テッサリアを併合すれば人口がほぼ倍になる。

クレタ戦争

史実では揉めに揉めたクレタ島問題だが、ゲームでは列強の威光を笠に着てエジプトから掻っ攫うことも出来る。
近場すぎるため、戦争になっても速攻占領してしまえば戦争目標の100%を占拠したことでいずれは終戦してくれる。

コメント欄

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 1.0.5での話になるけど、初手オーストリアの保護国になってオスマンに宣戦→オーストリアswayが強かった -- 2022-11-15 (火) 22:21:38
  • 第二次オリエント危機でエジプトと戦争してる間に背後をつくと独力でも勝ちやすい -- 2022-11-16 (水) 00:23:15
  • やってみたけど、質ゲーなので普通に序盤からオスマンに勝てるな。初手で戦列歩兵と徴兵まで取って、エジプトと戦争してる隙に背後をつけば、テッサリアまでなら簡単に取り返せる -- 2022-12-04 (日) 23:22:45
  • 1870年らへんにタイマンでオスマンに殴りかかってみたけどオスマンのAIが消極的なのか30連隊だけで226連隊のオスマンを圧倒してコンスタンティノープルまで占領出来た時流石に笑ってしまった -- 2022-12-05 (月) 23:24:44
  • ビザンツ形成後はロールプレイ的にコンスタンティノープルに遷都したい -- 2022-12-27 (火) 22:45:11
  • オスマン倒すのは難しくないけどバルカンから叩き出すのは他国への州返還出来ない関係でめんどくさいな -- 2023-09-04 (月) 18:00:25
  • 一回目テッサリア、二回目屈辱と東西トラキアで大国になりつつ、非主要国に押し込んで1954年にオスマン自治領化できたぞ。シビアだけど何とかなるみたい -- 2023-11-04 (土) 01:25:56
    • 1854年 -- 2023-11-04 (土) 01:26:37
お名前:

*1 そのついでにギリシャ人が多く住むクレタ島をエジプトに割譲させられたり
*2 ギリシャで主に信仰されているのはギリシャ正教である
*3 結局46年間で70回内閣が変わっている
*4 マケドニアにある。現在もギリシャ領
*5 Attica は英語名。ギリシャ語ではアッティキ(Αττική/Attikí)。
*6 Peloponnese は英語名だが、実際の発音は「ペロポニーズ」が近い。日本語では古代ギリシャ語発音に近いペロポネソス(Pelopónnēsos)という表記が一般的。現代ギリシャ語ではペロポニソス(Πελοπόννησος/Pelopónnisos)、ヴェネツィア語ではモレア(Morea)。

トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS