グランドキャンペーン開始直後の1836年当時、少女ヴィクトリアはまだ女王ではありませんでした。
ですが彼女にはすでに女王としての自覚が芽生えつつありました。何故なら、イギリス王である叔父のウィリアム4世は、当時、肝硬変でまさに死に臨みつつあったからです。
ヴィクトリア女王は成人(満18歳)を間近に控えていました。イギリスの王権はまさに彼女が手中にしようとしていました。
イギリスの王権はヨーロッパの諸国に比べて弱かったですけれども、大臣、聖職者、判事の任免権や議会の招集解散権、宣戦布告の権利などは王権のもとにありました。
そして忘れてはならないことに、イギリスは当時、世界随一の列強であったのです。少女ヴィクトリアは、まさにそうした世界最強の権力を手にしようとしていたのです。
さて、この少女はいったいどのような性格の持ち主で、手にした権力をどのように振るおうと考えていたのでしょう。
史実のヴィクトリア女王は控えめに言っても意志が強く、帝国主義的な性格をしていました。負けず嫌いで、甘ったれで、権勢欲は人一倍でした。
それでもイギリスにおける他の諸要因、つまり不文憲法と庶民院の掣肘、絶対君主のように振る舞った伴侶の死去などによって、女王は結局模範的な立憲君主として振る舞わざるを得ませんでした。
このことは、歴史における個人の役割の「限界」というものをよく考えさせてくれます。
制度、大衆、技術、文化、経済その他諸々の要素のなかで個人の歴史における役割は埋没してしまい、結局のところ、歴史は個人の意思と能力を超えてすすむものだと考えられるようになりました。
そして、こうした考え方はある程度正しいのです。
しかしここは、歴史のifを紡ぐ場所です。
おそらく、史実のヴィクトリア女王は、意志が強く、帝国主義的だったと言っても、大文字の歴史の前では、それを覆すほどの強い性格ではなかったのでしょう。あるいは単に能力も不足したのかもしれません。
ですが、ヴィクトリア女王が、史実よりももっと意志が強く、史実よりももっと帝国主義的だったとしたらどうだったでしょうか。
あるいは、ヴィクトリア女王の、女王よりももっと有能で教養溢れていた伴侶が、(彼は史実においてイギリスの絶対君主のように振る舞っていると他の選良たちから非難されていたのですが、)史実よりももう少し長生きしていたら、歴史はどうなったでしょう。
物語は、このパワーカップルがどのように出会ったのか、というところから始まります。
アルバート:ぼくアルバートです。
ヴィクトリア:わたしヴィクトリアよ。
アルバート:それで、いよいよVICTORIA3の処女プレイですね。
ヴィクトリア:私ね、女王になったら好き放題するつもりなの。
ロンドンの貧民やインドの土人に毒を盛ってのたうちまわるのも見たいし。
守役のメルバーン子爵を灼けた窯のなかにほおりこむぞって脅かしたりもしたいわね。
アルバート:すてきな夢ですね。
ヴィクトリア:あら、できないって思っているでしょう?
アルバート:だが不可能ではない。
ヴィクトリア:うそ!
アルバート:本当ですよ。そう、VICTORIA3でならね。それでははじめていきましょうか。