AAR/我はスカンジナビア人

プロイセンの最期

なんかとんでもない戦争が起こっているが、当のスウェーデンはあと5年、ひたすら内政のタームである。
まあせっかくだし速度を落として普仏墺戦争の経過でも観察しますかね…

今回の内政タイム

以下、時系列順に記載。

  1. 施設拡張 1844年10月ごろ
    イェータランド 工具工房 1→2
    スヴェアランド ガラス工房 0→1
    スヴェアランド 鉛鉱山 0→1
    スヴェアランド 兵舎 0→5
    ガラスの製法を変更するための鉛も同時に準備する。
     
  2. そろそろ大国になるための威信稼ぎを考える。
    いろいろな方法があるが、手っ取り早いのは「軍備増強」である。
    資金が天井を突きそうになってきたのでとりあえず5部隊作成。
    忘れずに軍人賃金を真ん中に戻して下げておこう。
     
  3. 1844年11月18日、普仏墺戦争開戦。詳細はこちらへ。
     
  4. 1844年12月7日、「近代下水道」アンロック。
    建設局の上限レベルを開放し、人口由来のインフラを少し増やす。効果は限定的。
    優先されるような技術ではないだろう。
     
  5. 1845年3月15日、「キニーネ」研究完了。
    前にも述べたが、これで州の特性「マラリア」を無視して植民できるようになった。
    また、植民地関係の制度をレベル3に変更可能に。当然すぐに増資開始。
    次は「民族主義*1」へ。
    これはスカンジナビアへの変態に必要な技術「汎民族主義*2」の前提。
    途中から伝播が始まっており、遅くても1年くらいで出来るとのこと。ありがたし。
    ナショナリズムは個人的に「民族」と訳す方がよいように思う。ここらへんは訳出が難しいので、こればかりは「ナショナリズム」でよい気もする。
    ナショナリズムは「同じ民族は集まってひとつの国を作ろうぜ!」なのに対して汎ナショナリズムは、「近い民族同士もまとまっちゃえ!」というカンジだろうか。
    スカンジナビアはスウェーデン、ノルウェー、デンマークの同系統民族の統一なので、当然汎ナショナリズムが必要になる。

普仏墺戦争

緒戦

1844年11月18日、開戦。まだまだ両軍士気が高く、戦線に大きな動きがない。

モルトケの敗北

おっ!モルトケ*3か?!あの「大モルトケ」か?!普通に負けてんじゃん。
史実のドイツ統一に大きな貢献を果たした、あのモルトケさんではないか!普通に負けてるけど。
まあ最初は防御側が有利だからねえ。仕方ないよモルトケさん。

イタリア戦争

よく見たらオーストリアはイタリア方面でも戦争している!

二正面作戦

フェルディナンド2世*4陛下、殺意高くないっすか!?
どうやら両シチリアがパルマの征服を掲げて宣戦、サルデーニャ=ピエモンテ*5が両シチリア側に、オーストリアがパルマ側についたということらしい。
両シチリアのオーストリアに対する殺意がすごい。こっちが本命とばかりの強烈な要求だ…
というか両シチリアとパルマの国旗、似ててどっちがどっちかわからん…

こんな要求したら悪名がとんでもないことに……うわあ顰蹙*6だあ。

悪名高き両シチリア

Have you been a Bad Boy?

さて、悪名について整理しておこう。この値は国家情報の「外交」タブで調べることができる。
対外戦争で相手に理不尽な要求*7を突き付けるなど、「悪行」を重ねると増加し、様々な不利益をもたらす。
100以上になると文字通り「世界の敵」となって総スカンを喰らう。挙句、「分相応*8」の戦争目標の対象になってしまう。

歴戦のVicプレイヤーはよくBBRと表現する。これは昔の名残で、BBRは「Bad Boy Rate*9」の略。
BBRはマスクデータ*10であり、値の確認にはコンソールコマンド*11を使う必要があった。
この値の意味するところは「悪名」とほぼ同じ。上がりすぎると、すべての周辺国が親の敵とばかりに殴ってくる。

ちなみにプロイセンは圧巻のBBR80越え。どうやらドイツ統一の過程で爆上がりするらしい。おそらくフランスの介入はこのせい。

悪名高きプロイセン

オーストリアの攻勢

オーストリアは対プロイセン戦線では防御に徹しているようだ。プロイセン軍は散発的な突撃を繰り返すのみで、すべてはじき返されている。
フランスは西側を進行中。フランス側が攻めているようだが、こちらもプロイセン軍が硬く、抜けないようだ。

事態が動いたのは1846年2月。

スーパーマッシブオーストリア

ついにオーストリアが一転攻勢!どうやらフランス軍の増援が到着したらしい。シレジア*12地方を奪取に成功。
ここは100年前、プロイセンに奪われた因縁の地である。オーストリアにとってはさぞ感無量だろう。
サルデにもだいぶ戦線が食い込んでいる。陥落も近そうだ。

プロイセンの反撃!

オーストリアなど所詮張子の虎よ

やはりプロイセン強し!はじき返して一進一退に持ち込んだ!
やはりドイツ軍人は違うな!…オーストリアも結構ドイツ人なんだが?まあハンガリー人とかいるし、そこら辺の差だろう。
そういえば、オーストリアが負けたらシュレースヴィヒ取られるんだったな…?



おーすといあー!がんばえー!まけうなー!

(こっそりオスマンがエジプトにボコられているのは内緒だ。それにしてもこの2カ国も国旗が似ててわかりづらい。)

サルデは風前の灯火。両シチリアの戦争支持率も激減。どうやらプロイセン戦線はフランスに任せて、オーストリア軍の大半はイタリアに出張っている模様。
まずはサルデを粉砕して一気にプロイセンをたたく算段であろう。珍しくオーストリアがまともな軍事作戦をとっている。
イタリアの部隊が来ると一気にプロイセン側が厳しくなるな…

画像は取り損ねてしまったが、この後プロイセンはオーストリア首都ウィーンに肉薄するところまで到達した。

イタリア戦争終結

1846年6月18日、両シチリア、サルデーニャ=ピエモンテ降伏。
サルデが両シチリアの関税同盟から「解放」された。サルデと両シチリアはもともと仲良くやっていたようなので、オーストリアによって仲を引き裂かれた形になる。
同時にこの報告はプロイセンに対する引導にもなってしまった。

ベルリン陥落

この後、ウィーンまであと一歩のところだったプロイセン軍は、降って湧いた大量のオーストリア軍に押し戻されてしまった。
大津波となったオーストリア軍はフランス軍とともにプロイセン領を浸食。9月にはベルリンが陥落。プロイセンの戦争支持率がマイナスに突入。

見よ、あれがベルリンの灯だ

(ちなみになぜか大半の占領地がオーストリア属国のクラクフのものになっている。)

ドイツ統一は儚き夢と散る

プロイセンはあっけなく降伏。これでシュレースヴィヒは守られた!
ありがとうオーストリア!ありがとうフランス!ありがとうクラクフ!

スクショはない。

スクショはない!

スクショはない!!!

重大な戦争が講和したらちゃんと教えてほしいんですケド何とかなりませんかねェ?スクショ取れなかったよ…
いつ降伏したのかも全くわからん。ちょっと目を離した隙にこれだよ…

ぱぱーぱー♪みたいな気の抜けた音でもいいからお知らせしてくれる機能ないかなァ。デーン!みたいなのでもいいからさ。ぽー、ぽっ、ぱっぽぽぽっぽ、ぱぱぱ、ぽっぽ。


*1 バニラだと「国家主義」。
*2 バニラだと「汎国家主義」。
*3 すごい人。検索してみよう!
*4 この頃の両シチリア王国国王。史実では在位 1810-1859
*5 史実でイタリア統一の主導となった国。通称「サルデ」。
*6 悪名50以上100未満。悪の総本山みたいな扱い。バニラだと「悪名」。
*7 「州の征服」が特に大きい。
*8 通称「懲罰戦争」。対象国が直近10年間に獲得した領土、属国のすべてを放棄させる。
*9 バッド・ボーイ・レート。直訳すると「悪い子度」。
*10 普段は隠されていて、正規の手段では確認できない情報。隠しパラメータ―。
*11 デバッグ・実験用に用意されている、いわば「公式チートモード」。ちなみにVic3にもある。
*12 おそらくは英語名。この時代ならドイツ名のシュレジエンの方がしっくりくる。

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