暴君の血まみれの旗を革命で打ち倒して誕生したフランス第一共和政...ではなく、その後の混迷を極めるフランスに降り立った英雄ナポレオンのフランス第一帝政...でもなく、ナポレオンのAEに反応した*1拡大を恐れた欧州各国に包囲網を敷かれて敗北したのち出来上がったフランス復古王政...でもなく、その時代逆行ぶりに立ち上がった市民が擁立した『roi des Français*2』ルイ・フィリップ・オルレアンが治める7月王政である。
史実では資本家を優遇することで経済は発展するも、制限選挙で相変わらず市民を無視して政治をしたため無事革命が勃発し排除されるが、この世界では...?
概要で察しの通り、この時期の史実フランスは政変と革命の時期であった。
事の発端は世界最長王位のルイ14世時代の仏蘭戦争に始まり数多くの継承戦争や七年戦争、アメリカ独立戦争と戦争を繰り返した結果借金とAEが蓄積、1789年フランス革命が勃発。その後
・1792年、王権が停止され国民公会*3が共和制を宣言
・1793年、ルイ16世と王妃マリー処刑。革命阻止のため周辺国が宣戦布告
・1793年、実権を握ったロベスピエールら山岳派による恐怖政治が開始
・1794年、クーデターによりロベスピエールら逮捕後処刑
・1795年、国民公会は解散し総裁政府になる
・1799年、ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こし総裁政府崩壊。統領政府となる
・1804年、国民投票でナポレオン皇帝に即位。第一帝政開始
・1814年にナポレオンを追放、1814年憲章によりブルボン朝が復活
・1815年にナポレオンのエルバ島脱出によりナポレオン帝政が復活(百日天下)
・ウィーン会議の結果またブルボン朝が復活
・1830年、七月革命によりオルレアン朝の立憲君主制国家となる
・1848年、二月革命によりオルレアン朝が打倒、第二共和制となる
・1852年、ルイ・ナポレオンが出自を活かし第二帝政が誕生
・1870年、普仏戦争中に第二帝政が崩壊。第三共和制が誕生
と何度も政変が起きている。その後はアフリカ植民地を広げつつ1888年にインドシナ併合、第一次世界大戦に参戦することになる。
政治体制 | 国家元首 | 推定相続人 | 正当性 |
立憲君主制 | ルイス・フィリッペ・オルレアン | フェルディナンド・フィリッペ・オルレアン |
史実と大きく異なり、急進派がほぼいないためすぐに市民を無視しても問題は無い。むしろ普通選挙に切り替える方が不満が高まる始末*4。
というよりすでに列強であり植民地も作れるので、基本なんでもできる。
一番の脅威は当然ながら隣にできつつあるジャガイモドイツの統一であり、史実*5同様早期に阻止に動いたほうが良い。
他の大国同様、建設セクターとそれを支える鉄工具木を中心に市場で足りないものを建設すればよい。
すぐに必要なものは特にないのでお好みで。
先述の通りフランス最大の懸案は隣の国である。
いずれ肥大化して統一され、技術と軍量で上回られるのは時間の問題である...
のならば、先んじて叩いてしまえばよい。幸いプロイセンはオーストリアと致命的に仲が悪く、何らかの形で介入してくれるだろう。
初期のフランス陸軍は技術軍量共にトップクラス*6であり、敵わない相手ではない。
余り切り取りすぎると悪名が上がってしまうのでほどほどに切り取るのが良いだろう。
お勧めはラインラントであり、ザール盆地地域ラインラント武力進駐ザールフランス保護領石炭の産地としても役立つ。
ドイツ形成にはドイツの範囲のうち19州の統治国家が統一ドイツに参加する意思を見せる必要がある。
ドイツの範囲から初期でのオーストリア領とアルザス・ロレーヌを除くと21州である。
即ち、3州を奪えばオーストリアと戦争しない限り永遠にドイツになれない。
ロシアともオーストリアとも(イギリスとも)仲が悪いため、適当に州を奪って生かさず殺さず程度にプロイセンを押さえておけば東の守りとなってくれる。
ただし弱体化しすぎるとオーストリアがドイツを統一してしまう可能性があるのであまり叩きすぎないようにしよう。
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