かつて強勢を誇ったオスマン帝国は見る影もない。
大英帝国発の産業革命が西欧各国に伝播したことで安価な織物が国内に流入し、
それに伴う産業の空洞化と膨大な貿易赤字は、財政を着実に蝕み続けていた。
ナポレイオン戦争以後、再び西欧外に目を向ける余力を得た列強は新たな市場を
求めて強大な軍隊を世界各地に差し向けようとしていた。
一方、その頃我が国は...。
オスマン帝国は技術こそ遅れているものの、1826年に設立されたムハンマド常勝軍
により、開始時点で「大物界の雑魚」クラスの師団数を誇っている。
それらすべてが非正規軍であり、早々に戦列歩兵への切り替えと自走砲の導入を
しなくてはペルシア相手にも全力で掛からないと戦争が長期化する有様である。
まずは格下相手だけでも通用するレベルの近代化と、軍需の供給体制が必要だ。
また、国内産業に関しても「悲惨」の一言で、ほぼ全ての需要と供給のバランスが
満たされていない。
技術は一旦軍事優先、その後は社会ツリーで経済政策を勧めて財政の健全化。
産業は建築センターが足りないので3~5個(増やしすぎると財政が傾く)足して
不足している原材料、続いて建設用の資材、戦列歩兵化に耐えれるように軍事工場を
気持ち程度にキューへぶち込んでおく。
エジプト?
あぁ、そんな雑魚いつでも踏みつぶせるので(震え声
Victoria3の戦争は手放しで推移するので面倒くさガリア人の筆者などにはとても
ありがたい仕様となっている。
生粋のだらけ症でもあるので、これを更に楽を出来るようにカスタムメイドして
行きたいと思う。
そこで出てくるのがペルシア君だ。
彼はほどほどに雑魚い小物界の大物であるが、10師団以下の国家相手であれば
全自動でヒャッハーしてくれるとても優れた下僕と成り得る。
早速、「傀儡政権の樹立」を送りつけ、友好の証としてトルコ国旗をペルシアに
プレゼントしてあげた。
先日社内研修にお招きした 胡散臭い マナー講師も、「信頼はまず形から入る」
って言ってたし、やっぱ礼節って大切ですよね^^
早速召し抱えたペルシア軍の出番がやってきた。
と言うより正常稼働するか不安で、適当な国に殴りかかっただけなのだが...。
軍を動員しなくてもペルシアが勝手に国境に張り付いてくれたので、眺めている
だけで勝手に蹂躙して何事ら混乱無く終戦を迎えた。
後半に差し掛かると操作量増えるだろうし、この辺りは余裕ある時にチェック
しておくに越したことはない。(アフリカ植民なんて最たる例)
陸軍を全て戦列歩兵に切り替えたら財政が大赤字になってしまった。
軍事工場の建設を進めているとは言え、まだまだ130師団近くの需要を支える
だけの供給量が足りていないようだ。
海外市場ではオーストリアが最も近い市場になるのだが、
陸軍の整備を終え、万全の体制でシリア奪還を図ることとした。
サクっと勝って講話した方が財政負担も少ないし、厭戦のデバフを短期間で
切り抜けれる。
シリア方面・トリポリ方面を陸路で、海路で紅海から強襲上陸をしてサクッと講話。
戦列歩兵と非正規兵の戦力差は大きいと感じざるを得ない。
同数か少し下回る兵力でも戦線を押し上げて敵兵をモリモリ溶かしてくれるから
見ていて気持ちいい。
講話すると「タージマート:シリア奪還完了」ってPOP出るけど、シリア奪還とタージマートって関係なくね? | オスマン帝国には「ヨーロッパの病人」というデバフ兼ジャーナルがあり、定められた解除条件を一定期間内にクリアーしないと 国威が50%減少し、非承認国家に転落させられてしまう。 解除条件の一つである政治改革は施行までかなりの時間を要するので、早めに着手しよう |
地道に拡張を続けていた両シチリアだが、無事にイタリアへ変体を完了した。
てっきりオーストリアから未回収のイタリアを割譲させないと変態できないと
思っていたが、そうではないようだ。
プレイヤーそれぞれで思い思いの拡張をしていたところ、ある事件が起きる。
オーストリアが対プロイセン戦争を複数のステート割譲を宣戦事由に海戦した
ところ、しれっとオーストリアがBBR100を超えていたのだ。
ルール上、「BBR100を超えてはならない」を設けた背景としては、システム上
急進性が急上昇するというデバフこそあるものの、列強で軍事力が高い国ほど
序盤に無理して美味しいステートを取りに行くのを防止する目的があった。
初めはプレイヤー最下位国からオーストリアに分相応決定で宣戦を行い、
オーストリアには即降伏してもらおうかと思ったのだが、いかんせん講話の
内容がきつすぎた。
年間の獲得領土全部リリースって・・・。
超えるとすぐに分かるということを周知の上で、今回は注意を促すだけに
留めたが、ここで動き出す国が現れた。
オーストリアはイタリアの割譲要求を退け、戦端は開かれることとなった。
しかし、AI国家であれ精強なプロイセン軍を相手にしながらイタリア軍を防ぐ
ことはできず、開戦後しばらくしてイタリア戦線は崩壊。
結局、北イタリアをイタリアに割譲して講話をしていた。
-執筆中-