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【第1話】ドイツ統一

【初期内政】

初手技術は、民族主義→水管ボイラーが一番いいと思います。民族主義で伝播を増やした後、鉱山の製法を手っ取り早く強化する水管ボイラーを研究します。プロイセンは軍事的には最先端の国家なので、そのまま軍事研究を続けて最先端を進むのも生産技術で経済的に成長させるのもありだと思います。このような意味で、プロイセンはプレイに向いている国ですね。
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法律面では、地方警察は地主を強化させてしまうため初手で専門的な警察機構に変えておきます。
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初手建設としては製紙工場×1→伐採所×1と建てた後は大学を大量に建設します。
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今回は軍事技術の研究をできるだけ早く進めていくので、初手で資金がある限り大学を建設するのは割と重要です。できれば革新上限以上に大学を建設して技術の普及のスピードを上げておくと、のちの軍事技術の集中研究の弊害として予想される生産技術や社会技術の遅れを少しですがカバーすることができます。

またこれに付随して、識字率を上昇させて研究速度を上げるためにも教育制度をレベル3に初手でアップグレードさせます。
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外交としてはオスマンあたりにライバル宣言した後に、イギリス&ロシア&サルデーニャ・ピエモンテに関係改善を開始。余った影響力はバイエルン・ハノーファーなどのドイツ諸侯へ関係改善しておきます。
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【ゲームスタート】

ということで時を進めます。ちなみに開始直後に北ドイツがワインに執着するようになりました。ワインを飲むドイツ人。なんか…高貴ですね(?)

ちなみにこれは失敗だったのですが、神聖ローマ帝国を形成する場合なら1838年くらいに発生する「ロンドン会議」ジャーナルの支持は「ベルギーの要求を優先」にしておいたほうが良いと思います。今回はなんとなく「24点を支持」にしたのですが、結果は「オランダの要求を優先」になりました。

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なぜ「ベルギーの要求を優先」を選択するべきか。「ベルギーの要求を優先」に最終的に決定した場合、ベルギーはルクセンブルク領を獲得します。これが意味することはワロンが分割州ではなく1つの州に統一されるということなのです。神聖ローマ帝国を形成する場合は戦争を繰り返すことになります。そのための領土を奪うために攻める格下国家の候補は、基本的にスイス・ベネルクス諸国・イタリア諸国です。しかし、悪名や外交関係のことを考えると戦争は最低限に抑えたいのですが、分割州を国家形成用に奪うとなると最低2回戦争を行うことになってしまいます。だからこそ分割州を解消する「ベルギーの要求を優先」としておくと長い目で助かる結果となります。もっとも、支持した要求が通らない時も多いですが。

1838年12月15日、民族主義アンロック。ドイツ諸侯への技術伝播を狙います。
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1839年、シュレースヴィヒ=ホルシュタインを巡りデンマークとの戦争が勃発。初期からある散兵入りの陸軍で勝利を重ね、シュレースヴィヒを征服し、ホルシュタインも解放しました。

さらにこの戦争で、デンマーク領シェランを獲得。これにより1.13で追加された海峡での通行料徴収ができます。ロシアをはじめとする船舶から高額の通行料を絞り取り、収入源の一つとしました。マジでシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争でシェランをついでに獲得するのはおすすめです。

そんな感じでドイツ統一の道を歩んでいたプロイセンに、序盤の一大事とも言える事件が発生します。

【ハンブルク危機とブレーメン戦争】

1840年、フランスがドイツ諸侯の1つであるハンブルクに対して保護国化を要求。ハンブルクはこれを拒否し、両国は戦争も辞さない構えを見せていました。ドイツ統一を目指すプロイセンは、ハンブルク側での参戦を決定。普仏国境沿いでは一時、双方の軍が睨み合うという状況に陥りましたがハンブルクはこの要求に屈服。保護国化の要求を受諾しました。

しかしその数カ月後、フランスはハンブルクに自治権の縮小を要求。プロイセンもこの要求に反発して参戦を表明。またも普仏国境沿いでは双方の軍がにらみ合う状況へ。

流石にハンブルクは自治権縮小の要求を受諾することはなく、ハンブルク紛争が開戦しました。プロイセン軍は善戦するも、徐々にフランス軍の圧力で戦線を圧迫されて押されます。

そして、ラインラントのフランスによる占領が確実視された頃、プロイセン側はこれ以上の抵抗は経済を圧迫させるだけだと判断し戦争からの撤退を表明。
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その少し後、フランスのハンブルク上陸が成功したことによりハンブルクは降伏。ハンブルクはフランスの傀儡となり、一連のハンブルク危機はフランス側が勝利を収めました。

1844年、今度はオランダがブレーメンの保護国化を要求。ハンブルク危機の時と同じくプロイセンはブレーメン側に立って参戦を表明。ドイツ諸侯への謝罪金という名目で毎週約8.5kの我が国への賠償金支払いを要求しました。
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そしてブレーメンを巡る戦争が開戦。といっても、プロイセンの圧倒的な軍質でゴリ押しした結果、数か月でオランダは降伏しました。
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【唐突な北ドイツ連邦成立】

1845年1月15日、隣国オーストリアはハンガリーとの二重帝国へ移行することを宣言。しかしドイツ諸侯にとって衝撃的だったのは、それに伴う「ドイツ統一からの撤退宣言」でした。プロイセンが単独でリーダーシップを発揮することとなり、プロイセン主導の連邦体制が発足。北ドイツ連邦が成立しました。
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しかし、フランス傀儡のハンブルクやプロイセンと敵対関係であるホルシュタインは統合しませんでした。

ドイツ統一にはハンブルクやドイツ系住民の住むエルザス・ロートリンゲンが必要です。北ドイツ連邦政府では既に、フランスを仮想敵国とした外交を行っていました。

【普仏戦争】

1848年2月、25年間の英独同盟が締結され、イギリスは同盟国となりました。
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そして同月、フランスにエルザス・ロートリンゲンの割譲及びハンブルクの移譲を要求。鉱産資源が豊富な地帯であるエルザス・ロートリンゲンをフランスが移譲する訳もなく、普仏戦争が勃発しました。

フランス側にはスペインが味方しましたが、我々北ドイツ側には同盟国イギリスに加え、恩義でロシアも味方につけ、欧州列強が軒並み参戦する戦争へと拡大しました。
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開戦当初から激しい戦闘が繰り広げられました。特に、想定では3ヶ月ほどで陥落するとしていたハンブルクはスペイン軍などの応援もあり戦線は膠着。
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しかし、そのスペインが戦争から撤退したことにより、戦争は我が方優勢へと転じました。特にハンブルク戦線はスペイン軍主体で抵抗していたのか、すぐに戦線を突破し最終的に占領。同時期にフランス本土の戦線も突破します。
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エルザス・ロートリンゲンの占領もほぼ確実視されている状況だったため、フランスは和平交渉にてこちら側の要求をすべて受諾。1850年2月。普仏戦争は北ドイツ連邦が勝利を収めました。
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そしてホルシュタインを除く残りのドイツ諸邦の支持を集めて1850年6月14日、ドイツ帝国成立。
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ドイツ国民は皆、手を上げ喜びを分かち合っていました。
しかし、ドイツ帝国政府はその先の未来を既に思い描いていました。そう…過去の遺物である神聖ローマ帝国の再興。そしてその先へ…。

これはまだ、統合の歴史の序章に過ぎない。

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