ローマ教皇庁の世俗支配領として成立し、長い間カトリックの権威を握っていたが
ヴェストファーレン条約にてヨーロッパ諸侯に主権が認められたことと絶対主義の台頭により権力は衰微。
フランス革命戦争とナポレオンのイタリア侵攻によりあっさり併合される。
その後ウィーン会議でゲーム開始時の領土で復活した。
その後は平穏そのものであったが、1848年のフランス2月革命により教皇はローマを脱出することになり、11月には首相暗殺により無政府状態と化す。翌年2月に三頭政治という共和制ローマそのもののような体制にて、史上初の死刑廃止国家であるローマ共和国が誕生。
しかしフランス軍により同年6月に崩壊、教皇も無事復帰した。
第二次イタリア独立戦争でサルデーニャがオーストリアに勝利して以降、周辺の国家はもちろんロマーニャでもサルデーニャへの合併運動が始まる。
これを見たサルデーニャは領土割譲を条件に中部イタリア併合を求めると、フランスは承認。1859年に教皇領北部のレガツィオーネがサルデーニャに併合される。
統一イタリア王国が誕生するとその首都をローマとすることを決定、ローマの明け渡しを要求する。
そして1870年、普仏戦争でフランス軍が出払っている隙にイタリアがローマを占拠。
当然教皇は黙っておらず、「教皇の世俗権力の廃棄に関与するすべてのものを破門にする」という手段を取るも、当の住民やイタリアのカトリック信者は完全に無視。圧倒的賛成多数でイタリアへ併合される。
以後「バチカンの囚人」と呼び、イタリアと断交。イタリアとの和解は1929年のムッソリーニ政権とのラテラノ条約を待つことになる。
州名 | 主要都市 | 初期インフラ(使用量/上限) | 建設済の施設(施設名+初期レベル) | 建設可能な資源・農業施設(施設名+最大レベル) | 初期小作農数 | 初期未就業者数 | 州補正(補正名称(補正内容)) |
ラツィオ*1 | ローマ | 11/54 | 交易センター4, 製紙工場2, 美術学校1, バチカン市国1, 伐採所2, 家畜牧場1, 小麦畑1, 徴兵センター23, 兵舎5, 港1 | 伐採所11, 漁港7, 家畜牧場65, 小麦畑65, 絹農園64, 綿農園64, 未使用の耕作地64 | 269k | ごく僅か | なし |
アンブリア*2 | ぺサーロ | 4/16 | 伐採所1, 漁港2, 家畜牧場1, 徴兵センター7 | 鉄鉱山9, 伐採所7, 漁港5, 家畜牧場42, 小麦畑41, 綿農園41, 未使用の耕作地41 | 88.1k | ごく僅か | なし |
ロマーニャ*3 | ボローニャ | 6/25 | 織物工場1, 漁港1, 家畜牧場2, 小麦畑1, 徴兵センター14 | 硫黄鉱山48, 伐採所8, 漁港6, 家畜牧場49, 小麦畑48, 綿農園47, 未使用の耕作地47 | 166k | ごく僅か | なし |
教皇領にはまともな兵力がない状況からスタートする。そしてなによりも問題なのが法律の「国教」「国家至上」「植民地なし」の3点。
教皇領が国力増強を狙うには植民地政策に頼るしかなく、これらの植民地は異文化かつ異教のため宗教や文化法を変える必要がある。
そしてこれらの法律改正に対して教会勢力は反対する上、この国は「神権政治」で宗教勢力に補正が入っている。
なにより問題なのが、神権政だと国教から変更できないこと。
以上のことから、教皇にとっては悪い話ではあるが史実通り共和国へ移行してしまおう。
ローマ共和国を目指すにも、初期段階だと実業家もブルジョアもインテリもほぼいないためまずは内政に注力したい。
最優先で伐採所、そのあとに建設セクター・飾り細工工房・鉄鉱山の開発を進めていこう。
外交面ではフランスと仲良くしつつ北部の小国群を自国の関税同盟に引き入れるのがよいか。
ただし間違ってもフランスの関税同盟に入ってはならない。ただでさえ足りない労働力をフランスに吸われるだけである。
法律面では一般的な君主制国家とあまり変わらない。専門警察や任命制官僚、投票制度の整備を進めていこう。
そして教会が弱まった段階で共和制制定に動き出すことになる。
植民地面では、付近の小国での石炭産出が見込めない上自領にもないため、マラリアの影響も列強の圧力もない上に石炭がある場所を一点狙いする必要がある。そしてこれをすべて満たすのは南米のパタゴニア。よって植民地はパタゴニア一点狙いがよい。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照