#author("2022-11-06T16:52:26+09:00","","") #author("2022-11-06T16:54:22+09:00","","") [[AAR/どう見てもドイツです。本当にありがとうございました。]] 皆さんこんにちは。パラドゲーライフをいかにお過ごしでしょうか。 私はと申しますと、10年間待ち侘びたVICTORIAシリーズの最新作ということでこの十数日間、時間があるときはサルのようにVIC3をプレイしていました。 それで今回はオーストリアです。 オーストリアというと19世紀頃、中欧にあった旧時代の名残というイメージですね。 実際史実ではオーストリアはそのアンシャンレジームから20世紀になっても脱却することができず、アウスグライヒを経て、WW1の敗戦で脆くも解体することになりました。 そんなオーストリアで見果てぬ夢を追ってみようじゃないかというのが今回の主旨です。具体的にはオーストリアでドイツをつくろうという次第です。 *初期設定 [#sd5d5b11] 設定ですが、先にMODとして有名なAI強化MODをいれていることをご報告申し上げます。 ゲーム性を変化させるMODをいれているので、ここでの記録は参考記録に過ぎないということを最初に断っておきます。 それで、オーストリアですが、まず目標となるドイツ統一に必要な画面がこちらになります。 ss02 #ref(ss02.jpg,nolink) CultureのタブからNation Formationの画面を開きます。するとドイツGermanが選べるので、それをポチッと押した画面がこちらになります。 つまりドイツを構成するステートは30州あって、オーストリア(と彼らを支持する諸侯)はそのうち8州を押さえてますよ、ということです。 そして、30州のうち19州を得れば、晴れてドイツに変態できるという訳なのです。お判りいただけたでしょうか。 ss03 #ref(ss03.jpg,nolink) ヨーゼフ:ばぶー。だあ、だあ。 政府画面を開きます。すぐあとで述べますが、議会が開かれていないので政党がなく、政府支持の利益団体は皇帝がピックアップして任命する方式になっています。 初期設定では地主、軍人、そして知識人が政府に参画しています。地主の代表者はかの有名な宰相メッテルニヒです。彼の目の黒いうちは議会や憲法なんてものはドイツ人には不要です。 ss04 #ref(ss04.jpg,nolink) そして法律画面です。オーストリアと言えば冒頭で述べました通りアンシャンレジームの守護者という印象ですが、これがどうして、なかなか先進的な法改正を行っている分野も存在します。 旧い法律が残っているのは君主制Monarchy、専制Autocracy、世襲官僚制Hereditary Bureaucrats、そして主要文化至上主義National Supremacyといったあたりでしょうか。 今回はドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のためのドイツを作ろうと思いますので、この主要文化至上主義をいじってアウスグライヒを行うことは致しません。 それで、オーストリアの法体系をどのように評価するかと申しますと、なかなかいいね!という評価になります。 とくに経済制度が伝統主義ではなく政府介入主義Interventionismなのがよろしい。それに税制の資産課税Per-Capita Taxationの合わせ技で、財政は非常に優秀です。 どこぞの国(アメリカやロシア)とちがって奴隷も農奴もいませんし、女性の権利も保護されているのが意外でした。これはヒストリカルな設定なんだろうかと疑ってしまったくらいです。 ということで法律は当面の間、いじりません。 他の要素はと申しますと、陸軍は250連隊と十分過ぎるほどありますし、海軍は10隻と弱いですが、別にこのプレイではドイツとラインに関心がつけられればそれで満足ですので気にしません。 *これがいちばん速いと思います。 [#zc67c70a] それでは時計の針を進めていきましょう。 ss05 #ref(ss05.jpg,nolink) みんな見慣れた1836年の欧州地図。じきに親の顔より見慣れたと言い出す者も出始めるでしょう。 オーストリアの主要文化は南ドイツ人文化で、大量の被差別文化(ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ウクライナ、スロヴェニア、クロアチア、イタリアなど)を抱えています。 同じ南ドイツ人文化であるババリア、ヴィッテンベルク、バーデンとは仲良くなっておきましょう。 それからモデナ、ルッカ、パルマといったイタリアの諸都市国家は保護国になっています。これも手放す必要はないのでキープしておきましょう。 影響力のキャパシティが余ったら、プロシアとの外交プレイに備えて列強との評価をあげておきましょう。 取り敢えず技術は何をおいても軍事です。1837年6月に将校団general staffを解禁させ、散兵戦術を採用し、弾薬を輸入して、戦力投射比を高めます。 建設局と建設タスクに必要な原材料と道具の自給体制を整えたら、大学を建設しておきます。今回は1837年12月にロンバルディアで大学建設イベントが、1840年12月に西ガリチアで同じような大学建設イベントが起こったので、初期からあるボヘミアとウィーンの大学の他にここの大学も適当に拡張しておきます。 さて、将校団を解禁したら公文書館Central Archivesに行こうと思いましたが、産業技術タブを見ると肥料を解禁してくれる技術が伝播しかけていたのでこちらを先に選んでおきます。 オーストリアでプロイセンの軍事技術革新についていくのは大変です。まず軍事技術、そして軍事技術を支える財政の確立が重要なのです。公文書館が終わったら、その時点で鉄道Railwayを目指そうと思います。 そしていよいよプロシアに対して外交プレイを仕掛ける段になったら、どのような外交プレイをあなたは仕掛けますか? 何よりもまず最初に侮辱をするという人もいるでしょうが、私は最初はシレジアのステートを取り返すことにしています。 シレジアのステートを取り返すためには、イギリスかフランスかのどちらかを味方につけることが可能で、さらにロシアが中立を守ってくれれば、プロシアは外交段階で折れてきます。 というわけで将校団による散兵戦術の訓練が行き届き、イギリスやフランスの評判が+50と上限に達するまでは我慢です。 ss06 #ref(ss06.jpg,nolink) ということで今回は1841年1月にシレジア割譲の外交プレイを成功させ、かつての7年戦争でプロシアに奪われたオーストリアの故地を取り戻しました。 今回はイギリスが義務obligeと引き換えに味方についてくれたので、プロシアもロシアも黙認せざるを得なかったのでしょう。なおフランスはドイツに関心をつけておらず、そもそも外交プレイに参加してこなかったです。 このあと5年間の停戦期間が明ければ、今度は侮辱を名目にしてプロシアを列強から引き摺り下ろすのが目標になってきます。 ところで1842年4月には、坊主が煩かったので法律における「女性の権利」を剥奪して「女性は家庭にlegal gardianship」を可決します。 知識人たちは怒って政権から外に出てしまいました(知識人の評価が閾値を下回ることによる政権からの離脱現象が起こったのです)。 そのあとは停戦期間を鉄道railwayや選別医療triageの解禁に費やしたり、失政して飢饉the great hungarを起こしてしまったりして過ごしていました。 ss07 #ref(ss07.jpg,nolink) 宰相メッテルニヒ。まだご存命。 事態が風雲急を告げたのは1846年6月です。 この月、プロシアがデンマーク麾下のドイツ諸侯であるオルデンブルクに対して征服の外交プレイを仕掛けました。 これがオルデンブルク危機で、当然オーストリアはオルデンブルク寄りの立場に立ってプロシアを牽制します。すると7月にはいってオルデンブルク側から、「プロシアへの侮辱を条件に参戦してくれないか」という打診がきます。しばし迷った末、オーストリアはオルデンブルク側に立って参戦することを決意。 ss08 #ref(ss08.jpg,nolink) プロシアが外交的に折れることも期待していなかったと言えば噓になるのですが、結局、プロシアは折れませんでした。戦争です。 プロシア側にはホーエンツォレルンとザクセンとスウェーデンがつき、オルデンブルク側にはデンマークとハノーバー、そしてオーストリアがつきました。 ss09 #ref(ss09.jpg,nolink) これは言わば、1846年に勃発した普墺戦争です。 オーストリアは威嚇の意味も込めて総動員をかけていました。 その軍隊をザクセンからシレジアの国境にずらりと並べます。 開戦は1846年10月でした。 プロイセン側は遅滞戦術でオーストリアの攻勢を凌いでいる間、1847年1月にハノーバーを、2月にオルデンブルクを降伏させます。 オーストリアは軍量ではやや勝っているのですが、相手は塹壕をもっているようで、攻めあぐねているのか、なかなか攻勢を成功させられません。 しかし1847年3月、ブランデンブルク正面でオーストリア軍35連隊がプロイセン軍40連隊を撃破。 ss10 #ref(ss10.jpg,nolink) こちらの将軍を見たら名将ラデツキーでした。さすが。 この戦勝が効いたのか、どうなのか、1847年4月にプロシアで「オルデンブルク家」による反乱が発生。 ss11 #ref(ss11.jpg,nolink) ヨーゼフ:この件はどう捉えたらいいのでしょう。解説のカンガルーさん。 カンガルー:はい、解説のカンガルーです。まあ普通に考えれば、プロシアが地方民と坊主を怒らせる法案を可決させてそれが反乱につながったと考えるのが妥当なんですが。 それにしてもあれですね、オルデンブルクを征服した直後にオルデンブルク家による反乱がおこった訳ですから、これはやはり、ホーエンツォレルン派の貴族vsオルデンブルク派の貴族の対立という脳内補完ができると思います。 ヨーゼフ:いずれにせよこれでプロシアはぐっと苦しくなりましたね。 カンガルー:そうですね。それでは解説から実況にお返しします。 この僥倖によってプロシアの脱落は時間の問題となった。 1847年5月、デンマークが降伏。 1847年7月、(ホーエンツォレルンの)プロシアが降伏。 そして1847年11月にはザクセンが降伏し、戦争はオーストリアvsスウェーデンの一騎打ちとなる。 とは言っても、両者ともに海軍を動員して上陸作戦を仕掛けるといったこともせず、ただ月日が過ぎ去るのを待ち、戦争支持度が減少するのを待つだけの日々であった。 ss12 #ref(ss12.jpg,nolink) そして翌1848年6月、プロシア内戦が終了し、オルデンブルク家系の貴族、見慣れぬ赤毛の君主がプロシア王に収まった。 それで、このあたらしいプロシアの態度Attitudeを見ると、ハートマークになっている。慇懃Genialである。これはひょっとして...。 ss13 #ref(ss13.jpg,nolink) ひょっとしてひょっとして、プロシアがオーストリアによるドイツ形成を支持しているのである。 これでドイツ諸州の30州のうち、20州がオーストリア支持となり、19州を上回ることになった。非常に結構。 ss14 #ref(ss14.jpg,nolink) 1848年8月18日、オーストリアによるドイツが誕生した。 国旗がハプスブルクの紋章ではなく鉄十字であることが気に入らないし、国境も多少汚いが、ドイツはドイツである。 これがいちばん速いと思います。(再現性がない上、MODをいれているので参考記録です。) 完