#author("2024-12-25T10:51:44+09:00","","")
#author("2024-12-30T16:38:43+09:00;2024-12-25T10:52:42+09:00","","")
[[AAR]]

#ref(ss01.jpg,left,nolink)

パラドゲーマーの皆様、パラドライフをいかにお過ごしでしょうか。
筆者は今日も今日とてVICTORIA3です。今回はオーストリアで大ドイツを形成していきたいと思います。
ご笑覧ください。

VICTORIA3 v1.8.6
BugFixMODあり
AUSTRIA

*コメント [#f9b4bbee]

#COMMENT

*オーストリアv1.8.6における大ドイツルートの序盤攻略手引き [#wec38e0a]

グランドキャンペーン開始時点におけるオーストリアの皇帝は病気がちで神経衰弱のおっさんです。
後継者は僅か5歳の砂利で、政府は地主専制です。いろいろと終っていますが、張り切っていきましょう。

#ref(ss02.jpg,left,nolink)

オーストリアはGC開始当初から勢力圏をもっています。
イデオロギー連合で、名前は有名でヒストリカルなオーストリア宰相の名前を冠した「ウィーン体制(メッテルニヒ・システム)」。
オーストリアの他には主にイタリア諸国が参加しています。両シチリアの太っちょや、パルマの未亡人などが特徴的ですね。

#ref(ss03.jpg,left,nolink)

取り敢えず適当に時計の針を動かし、技術だけは初手将校団General Staff、そして二手目がナショナリズムを選択します。
技術はそのあと1850年までティア2の社会技術を伝播と重ねて埋めていって、1850年以降は汎ナショナリズムの研究を行います。

当面の目標はふたつの歴史的ジャーナルの達成です。
一つ目は「ドイツの国民統合原理German National Identity」で、もう一つは「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題」です。
前者はドイツ諸邦がナショナリズムを解禁していくと達成となり、後者はデンマークから彼の同君連合シュレスヴィヒとホルシュタインを解放することが条件になっています。

法改正は地主でも権威主義者のメッテルニヒが指導者のお陰で改正できる国民衛兵National Guardを選択します。
外交はロシアとの同盟一択でしょう。今回の世界線では1837年11月、ロシアとの友好値を50にして同盟を締結できました。

1838年11月には将校団が解禁。
さっそく戦列歩兵を散兵に上位互換し、必要資源である弾薬を輸入します。
同時にデンマークに対して外交プレイを開始。戦略目標はシュレスヴィヒとホルシュタインの解放です。
単独でたたかうつもりでしたが、相手がイギリスを呼んだので、こちらはロシアを呼びました。
相手がひるんでいたので副次的要求をましまししましたが、デンマークは降りませんでした。

開戦です。

#ref(ss04.jpg,left,nolink)

相手にイギリスがいるので白紙和平も覚悟していたのですが、ロシアがデンマークに上陸を成功させたので勝てました。
1840年2月に講和条約。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題のジャーナルはこれで達成です。

1841年3月にはナショナリズムも解禁し、「ドイツの国民統合原理」のジャーナルも達成しました。
さっそくジャーナルのタブから辿れる国家形成タブの「ドイツ統一プレイ」をつかってプロイセンに宣戦布告します。
ここで重要なのは、主要な要求であるドイツ指導権のほか、副次的要求にラインラントもしくはウェストファリアの属国解放をいれること、シュレジエンを併合すること、そしてホーエンツォレルンを属国移譲させることの三点です。今バージョンになって対仏戦争でアルザスロレーヌを得るのがめちゃくちゃ難しくなったので、プロイセンの領土は削れるだけ削っておかなければならないのです。
相手の要求はドイツ指導権と屈辱でしたが、こっちがロシアを呼ぶと、相手がフランスを呼んできました。

#ref(ss05.jpg,left,nolink)

戦域はプロシア戦線とバイエルン戦線の二か所で形成されたので、フランス軍主力がいるバイエルンでは防衛に徹し、プロシア方面でロシア軍と共同して攻勢に出ることにしました。
この普墺戦争は1841年6月に開戦し、1842年2月にはシュレジエンを占領。1842年7月にはブランデンブルクを占領して勝敗が決しました。
即座に「南ドイツ連邦South German Federation」のジャーナルを達成し、バイエルン、ヴュッテンベルク、バーデン、そしてホーエンツォレルンの南ドイツ諸邦をイベント併合してオーストリアが拡大します。

#ref(ss06.jpg,left,nolink)

さて、あたらしくもうけられた停戦期間の間、やることはティア2の社会技術の研究と、ドイツ諸邦との関係改善です。
ドイツ諸邦と関係改善しているとき、v1.8になってよく起こるのが革命騒ぎです。政権転覆と相成ると関係改善をイチからやり直さなければならなくなるので、オーストリアはドイツ諸邦の憲兵として振る舞います。つまり、現体制を擁護して革命に介入するのです。
1847年にはプロイセンとの停戦が切れたので、1848年にかけてもう一度彼らを叩いておき、ダンツィヒとポメラニアを独立させます。

そして1850年2月、ようやくティア3研究がデバフなしに始められるようになったので、ティア2研究を切り上げて汎ナショナリズムの研究を開始します。
ティア2に未研究技術が残っているおかげで、研究期間は6年間と長いですが、研究を開始します。今回のプレイでは1855年7月に汎ナショナリズムの研究を終了しています。
さっそくジャーナルのタブから国家形成タブを開いて外交プレイを開始します。今回は、オーストリアとロシアの連合に対してフランスとアメリカの連合が対抗してきました。

#ref(ss07.jpg,left,nolink)

戦争は2年間続きましたが、アルザス・ロレーヌを抜くことができず、白紙和平に終わります。
この時点でドイツ形成に必要な23州のうち21州しか獲得できていません。万事休するか。いえ、諦めてはなりません。
プロイセン含む残るドイツ諸邦と関係改善&融資&独立保証のコンボで関係値をブーストします。
そうすると1858年、プロイセンとの関係が融和的になり、ついに彼らがわれわれのドイツ統一を支持するようになりました。ほおっておくと外交官追放されかねませんので、まだ未承認のドイツ小国が残っていますが、ここでドイツ形成を選択します。

#ref(ss08.jpg,left,nolink)

v1.8でも、オーストリアによるドイツ形成、成し遂げることができました。

(もうちょっとだけ続くんじゃ。)
(おわり)

トップ   編集 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS