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#author("2023-06-15T20:39:32+00:00","","")
[[AAR/もしフランツ・ヨーゼフがフィヒテのドイツ国民に告ぐを読んだら]]

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誰かが言ったように、オーストリア帝国は完璧な調整と変化への忌避から成り立っている。
革命の運動は国民国家を超えて広がり、帝国はそれを弾圧している。しかし現状維持はいつまで続くだろうか?

*はじめに [#m85b60ae]

皆さんこんにちは。パラドライフをいかにお過ごしでしょうか?
筆者はと申しますと、VICTORIA3のv1.3とVoice of the Peopleがリリースされて以降、毎日サルのようにこのゲームをやり続けています。
VotPはSteamのレビューで2023年6月11日現在、「やや不評」となっておりますが、その評価基準は「価格に見合った内容ではない」というのが多数です。
しかしパラド社の開発方針からして、無料要素とDLCとは分けて考えることは不適当であり、アジテーターシステムや法律と革命へのテコ入れは十分面白いゲーム体験を私たちに提供していると考えられます。
v1.3とVotPをレビューするついでと言っては何ですが、このバージョンでもオーストリアによるドイツ帝国は可能かどうか、検証しようと思います。
どうか皆さん最後までお付き合いください。

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 フランツ・ヨーゼフ「ばぶー、だあ、だあ」

さて、今日も今日とてオーストリア・ハプスブルク帝国です。皇帝は精神疾患の上、病弱で、帝位継承者のフランツはまだ5歳の子どもです。

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 メッテルニヒ「会議は踊る。されど進まず」

政府は「オーストリア貴族」という名前の地主IGのみの専制政府で、正統性はカンストしています。
首相は地主代表の「ラインラント生まれのヨーロッパ人」、クレメンス・フォン・メッテルニヒ。
このひとは世界史の教科書にも出てきますので皆さんご存知ですよね。19世紀前半の国際秩序を築き上げ、それを維持し、維持に失敗して、失脚して亡命した人です。

メッテルニヒはどちらかと言えば欧州列強国家間の勢力均衡を大事にし、その土台の上にオーストリア・ハプスブルク帝国の繁栄をつくろうと思った人物です。
ゲーム的には南ドイツ人の(ラインラントは南ドイツの範疇なので間違ってません)、カトリック教徒で、1836年時点で63歳。人気は上々の50。地主IG所属でv1.3で追加されたイデオロギーである権威主義者という考え方の持ち主です。
このゲームで彼の設定は地主中心のオーストリアを運営していく上では非常に有能で、高齢であるということを除けばなかなか良質な首相であると言えるでしょう。

法律については画像を割愛しますが、v1.2の頃とそう大きな変化はございません。
君主制の専制で、世襲官僚制というまあ時代遅れのカトリック国家の典型という法律体系をもっていますが、他方で、経済法は(伝統主義ではなく)介入主義で、女性は財産権をもち、奴隷制でも農奴制でもありません。
税制は土地ベース課税で、資産ベース課税だったv1.1の頃に比べて弱体化していますが、とくに大きな問題はありません。

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技術はこういうルートで研究していきます。
将校団general staff、ナショナリズムnationalism、汎ナショナリズムpan-nationalismですね。
最後の汎ナショナリズムは時代3の技術であるため、開発するのに10年とか平気でかかりますが、ドイツ建国の条件になっているためにキューに入れました。
他のAARにも書きましたが、序盤に重要なのは最初の二つ、将校団とナショナリズムです。
将校団は散兵戦術を可能にしてくれ、これがプロイセンに軍質で対抗する必須条件になります。ナショナリズムはドイツ統一運動の最初の条件です。

生産は適当でいいです。
戦争を多用するため、健全な財政がほしかったので、建設施設は増設しませんでした。大学を最優先に生産して、それと政庁をつくるために紙と木材をつくっておきます。

外交は重要ですが、できることは限られています。
まずイギリスとフランスとロシアの関係改善をします。これらの列強とは早期に関係を50まで上昇させ、できれば一か国と同盟を、その他の国とは協定を結びたいです。
今回のプレイでは1837年12月にロシアと同盟を締結しました。広がれ、神聖同盟のワッ! フランスとは協定を締結しましたが、イギリスは協定を結んでくれませんでした。
余った外交影響力はドイツ諸邦との関係改善及び関税同盟の拡大に使います。

それでは時計の針を動かしていきましょう。

*シュレスヴィヒ危機 [#i4306ad0]

オーストリアは最初の最初はあまりやることがございません。
だらーっと生産キューを消化しつつ、イベントを見ながら時間が過ぎるのをただ待ちます。
ラデツキー将軍が死んだり、ハンガリー方面総司令官がイベントでバーデン公爵領に引き抜かれたり、邪魔な扇動者を追放したりして時を過ごします。
これらのことを詳細にリポートしてもよかったのですが、サーバーを労わるべしという思いから画像を貼るのは遠慮しました。

あと地主のメッテルニヒが経済法の伝統主義を陳情してきました(怒)。
この陳情は聞き入れるわけにはいかないので、無視することで、地主の評判にマイナス15がついてしまいます。
そのため地主を怒らせる改革をしばらくすることができなくなってしまいました。誰だメッテルニヒを有能だ言うたやつはぁー!(おれだ。

さて、1838年に将校団の技術が解禁されました。
これでオーストリアの軍質が欧州先進国に並びます。
ここでプロイセンを殴ってもよかったのですが、ナショナリズムがまだ発見できていないためにドイツ統一の指導権CBを得ることができず、その選択肢は断念しました。
代わりにデンマークを殴ります。CBは市場開放。追加で、シュレスヴィヒとホルシュタインの傀儡化CBを選択します。
1840年7月にはデンマークを下して、これらの国を同君連合下位国に置きます。これはのちドイツ統一ジャーナルの条件になるので、いずれかの段階でクリアしておく必要があるのです。

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#br
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精神疾患で病弱で評価マイナス75のフェルディナンドのご尊顔が三つに増えたよ。やったね。

*普墺戦争 [#r797779a]

そして1841年2月、冒頭の問題提起に戻ります。
この年代に、オーストリア皇帝はドイツ・ナショナリズムの著作であるフィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」を読んだのでしょう。
そしてこのパンフレットは帝位継承者フランツの教程(カリキュラム)に取り入れられ、オーストリアの国家意思としてナショナリズムは以後作用することになるのです。

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ゲーム的にこのことは何を意味するのでしょうか。
まず第一に、オーストリアがナショナリズムを発見すると、ドイツ統一の指導国に立候補することができます。
第二に、ドイツ諸邦のうち四分の三がナショナリズムを解禁すれば、南ドイツ連邦を形成するジャーナルを解禁することができます。
そして第三に、オーストリアがナショナリズムを発見した状態でプロイセンがナショナリズムを発見すると、彼らの間でドイツの指導権をめぐるCBが発生します。

1841年にオーストリアがナショナリズムを発見した後、世界線によっては1850年代になってもプロイセンがナショナリズムを発見せずにドイツ指導権CBを得ることができないこともありました。
ですがこのプレイでは1841年2月にオーストリアがナショナリズムを発見した後、あとを追うように、1841年3月にプロイセンもナショナリズムを発見したと思われ、ドイツ統一候補同士の対立が生じました。

さっそく外交プレイを開始します。ここで重要なのは、ここでドイツ指導権CBをプロイセンに押し付けるほかに、プロイセンからウェストファリアかラインラントを独立させることです。
プロイセンの領土があまりに大きすぎると、その後のドイツ統一の障害になります。これはドイツ統一ボタンを押す際に悪名が閾値を超えてしまうという意味です。
今回のプレイでは、ドイツ指導権CBをつかってプレイを開始した後、ラインラントの独立、ホーエンツォレルンの移譲、シレジアのステートの割譲を追加しました。

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オーストリア側には同盟国ロシア、傀儡にしたシュレスヴィヒとホルシュタインのほか、バイエルン、ヴュルツブルク、バーデンといった南ドイツ諸邦も参加してくれました。
四方八方から敵の侵入をうけたプロイセンはとてもかなわず、戦争開始4週間もしないうちにベルリンを陥落させられ、あとは講和を待つのみといった状態になりました。
そして1842年3月には講和締結。ドイツ指導権、シレジア、ホーエンツォレルン、そしてラインラントの独立を達成しました。

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 戦後のドイツ。

これで悪名が50弱に達したので、停戦期間中はクールダウンにつとめます。
既に中央銀行の技術は伝播でアンロックしていたので、ドイツ形成タブを開いて確認できる、プロイセン側を支持しているドイツ諸邦を狙い撃ちして関係改善と融資に外交影響点を注ぎ込みます。
このとき、だいたい連隊数とドイツの強制統一の際に増加する悪名は比例するので、連隊数の多いプロイセン派のドイツ諸邦を狙うのが肝です。
ザクセンやヘッセ、ラインラントなどがプロイセン側についていたので、関係値を80まであげていきます。
ちなみにドイツの強制統一には汎ナショナリズムの技術が必要なので、停戦期間や悪名の問題を除いても、まだそれを実行することはできません。汎ナショナリズムは1851年から1852年頃には解禁される予定です。

*静謐な1840年代 [#tc7235e8]

それではオーストリアはこのクールダウンと停戦期間の間、何をすればいいのでしょうか。
ここで重要なのは外交攻勢です。ドイツ諸邦と関係改善をし、融資をおこない、オーストリア主導での大ドイツ形成への支持を取り付けるのです。
今回のプレイでは序盤に建設局の増設を行わなかったため、戦費調達や融資資金に事欠くことはありません。健全財政こそ大ドイツへの道です。

財政の基盤となる産業育成も順調です。
オーストリアは今回大ドイツになることを目論んでいるため、ハンガリーやルーマニアやイタリアといった(このリストはもっと長くできるのですが、)被支配民族のステートではなく、ドイツ人のステートのみを開発していきます。
具体的にはオーストリア、スティリア、チロル、そしてイストリアの諸ステートです。

しかし一つボトルネックがあります。それは課税キャパとインフラです。
1845年には中央公文書館を伝播によって解禁して課税キャパの問題はクリアしました。
しかしインフラは鉄道をアンロックするまではどうにもしがたいです。というのも、先述したドイツ人ステートのうち、イストリアを除く諸ステートは皆、内陸ステートであり、港湾施設がつかえないからです。
こういうことがあります。ですから、建設局を増設して、財政を圧迫してまで、殖産興業をすすめなくてもいいのです。じっくり工場でも建てながら、ドイツをつくっていこうではありませんか。

しかし情勢はそう簡単にはすすみません。1847年にイタリアで戦争の火種がくすぶりはじめます。
両シチリア王国がパルマ公国に対して傀儡化の外交プレイを開始。当時のパルマ公はハプスブルク家の女性(ナポレオンに嫁いだマリー・テレーズです。)だったため、またゲーム的にはパルマはオーストリアの勢力圏にあるため、オーストリアは参戦を決断します。
ところが両シチリア側にはトルコとロシアが参加します。戦争は勃発し、オーストリアとロシアとの同盟はこれでご破算になってしまいました。しかしこれはこれでよかったです。外交影響点を400も拘束されるのは、ドイツを目指すオーストリアにとっても負担なので。

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戦争は主にオーストリアとロシアとトルコの間で行われました。オーストリアが防戦し、ロシアとトルコが攻勢をかけ、失敗するということが何度も繰り返されます。
それで途中で気づいたのですが、パルマは内陸国で両シチリア陣営と地続きになっていないため、オーストリアが参戦しなくても、主権侵害がなければ敵はパルマに攻め入ることができないのです。
そのことに気づいたとき、オーストリアはそっと戦線離脱のボタンを押して戦争から離脱しました...。

あと1850年11月に才気ある扇動者と不平を持つ利益集団に押されて比例課税を制定したのですが、富裕層が十分に育っていないせいか税収は逆に落ち込んでしまいました。
こんなことってあるんですね。

* [#q376d36f]
*新しいドイツ [#ed5350db]

続く
さて、それでは停戦期間も明け、悪名のクールダウンも済んだので、いよいよドイツ形成の事業を開始していきたいと思います。
文化タブからドイツ形成の画面を開くと、ドイツ形成には二つの手段があることがわかります。
一つは外交プレイによるドイツ形成で、もう一つは外交アクションによるドイツ形成です。
外交プレイはドイツ統一の指導権を持つ国が一か国だけの場合に選択可能で、ドイツを形成しようとしている国と、それに反対する国の間で外交プレイを行い、多くの場合戦争を伴って、ドイツ形成を行う選択肢です。
外交アクションによるドイツ形成はドイツを構成する39州のうち、20州を自国もしくは時刻によるドイツ形成を支持する国で所有すれば選択可能です。この選択肢をとれば、戦争を抜きにして平和裏にドイツを形成することができます。
このAARでは、当初外交プレイによるドイツ形成を目指していましたが、オーストリアによるドイツ形成に反対するドイツ諸邦を融資や協定などで切り崩していった結果、ドイツ形成に必要な20州を確保することができてしまったので、急遽外交アクションによるドイツ形成を選択しました。

1851年12月、ドイツ形成です。
ハプスブルク家の紋章をあしらったカントンがついた黒赤黄のトリコロールが国旗となり、これにはフランクフルト国民会議もにっこり。

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難なくドイツを形成したように見えますが、内心筆者はひやひやしておりました。
というのも、帝位継承者のフランツ・ヨーゼフにはこのプレイでは悪名ペナルティ(悪名増加率2割増しの「恐れ知らず」の特質)がついており、精神疾患で病気がちな現当主のフェルディナンドが死ぬと、多大な悪名を被る外交プレイによるドイツ形成では悪名が閾値を超える危険性もあったからです。
しかし幸いにもフェルディナンドは命を長らえ、ドイツ形成は外交プレイではなく外交アクションで行うことができました。

(次頁に続く)


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