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[[AAR/自由への賛歌]]

*自由への賛歌 第七話 [#yd92aefa]
 ビザンツを建国した後、再び内政に重点を置く。
 市場の要求にこたえ、インフラを整備し、国を豊かにする。
 すべては次の戦のために 
  
**1877年~1890年 [#m2dbf6f2]
めでたくビザンツを復活させ手勢いに載ろうとしていたが、社会不安が増大していたため
インフラ、需要物資の増産を行いつつ、BBRが下がるまでおとなしくしていた。

1883年12月
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プレイ目標の一つ、セルビアへの復讐を実行する。

#br
国民の中からはこのような意見もあったが、当初に決めたことであるので
心を鬼にして実施する。
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#br

1884年3月
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とうとう我が国にも幽霊が出てきた。
戦争をしつつ、対処していかねばならない。
帝政だけは維持したい。
兎も角、政治リーダーに急進派を就かせないような選択をしていくこととする。

#br

1884年3月 セルビア征服戦争開始
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ロシアが敵に回ったが、我々に何も要求していない。
我々もロシアに何も要求していない。
セルビアが降伏すればすぐに戦は終わるだろう。

また、セルビアとロシアは国境を接していないため、援軍は考慮しなくてもいい。
なお、ロシアとは国境を接しないように調整していた。

#br

1884年10月 セルビア征服戦争終了
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BBRがまた上がったため、冷却期間をおいてヨーロッパに遺されたオスマンの領土を
かっさらっていくこととする。
#br
1885年6月
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急進派対策で救貧法を制定
#br

1886年4月
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革命派対策で土地所有者投票を制定

そして1886年12月に秘密警察を制定した。
いずれも革命派対策である。

#br
1889年8月
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おそらく最後になるであろうオスマン帝国との戦争を開始。
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#br

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1889年11月
質量ともに勝るビザンツ帝国の前にオスマンはなすすべもない。
ここまで来るのにいったいどれほどの血と涙が流されたのだろうか・・・
なお、両シチリアが敵についているが、上陸を仕掛けられることはほぼないと踏み、
無視して開戦を行う。

#br
1890年3月
この日を以て一連の対オスマン戦役は終了した。
1821年の独立戦争以来、断続的に60年に渡り続いた大戦争であった。
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これで2つ目の目標であるオスマンをアナトリアとヨーロッパから叩き出す事に成功した。
次は東地中海の覇権を取りに行くことにする。

 薄暗い部屋で皇帝は地図を見ていた
 この国では戦傷兵に使用するアヘンが自給できない
 そうだ、エジプトでアヘンが獲れるではないか
 次は・・・

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