#author("2022-12-27T20:16:51+09:00;1970-01-01T18:00:00+09:00","","") #author("2022-12-27T20:25:43+09:00;2022-12-27T20:24:38+09:00","","") [[AAR/自由への賛歌]] *自由への賛歌 第六話 [#x2c623c5] もう少し・・・もう少しだ・・・・ ギリシャ王宮の一室で男は地図を見ていた。 現在の地図ではなく、その血走った眼は400年前に滅んだ帝国の版図を 見ていた。 **1865年~1877年 [#w9127844] 1868年9月 次のオスマン戦までの間、 BBRを下げつつ、適度にアフリカの小国を踏みつぶす。 ちょうどウガンダ周辺の小国がそこそこ開発が進んでいて美味しい。 おやつにはちょうどいい。 #ref(biz6-01.png,nolink) #br 1870年8月 第3次ギリシャーオスマン戦争勃発。 #ref(biz6-02.png,nolink) #br 1870年12月 ギリシャ領北海道でゴールドラッシュが発生 資金不足にあえぐ我が国は当然「全て私のものだ」を選択 #ref(biz6-03.png,nolink) #br 1871年3月 わずか1年を待たずにオスマンが降伏。 #ref(biz6-04.png,nolink) なんとかここまで来た。あと一息。 #ref(biz6-05.png,nolink) エーゲ海の東エーゲ諸島を手に入れればビザンツが形成できる。 停戦後の5年後に再度宣戦すべく、内政に励むことにする。 #br 1872年4月 団体スポーツ競技の研究が終了した。 ジャーナルから近代五輪競技の復活ができる。 行政力が-20%されるが、国威が+100される。 少々ペナルティがきついが、成りあがるために国威を 選ぶことにする。 #ref(biz6-06.png,nolink) #br 1876年3月 植民地の反乱がいくつかあったが、順調に国力を増幅させていたギリシャは 再度、オスマンに外交戦を挑む。 #ref(biz6-07.png,nolink) オスマンもこのことを予想していたのかロシアとブラジルが味方に付いていた こちらの装備は最新式だ。 数は劣るが何とかなると思い、強気で行く。 #br 1876年8月 ついに開戦。人事を尽くした。天命をまとう。 #ref(biz6-08.png,nolink) #br 1876年11月 戦線は膠着。ロシアもフィンランドが反乱を起こし、こちらに全力を注げていないようだ。 #ref(biz6-09.png,nolink) #br 1877年2月 戦線は膠着。東エーゲとアナトリア南部の敵は片づけた。 ロシア方面に攻め込める実力があるが、戦線が伸びて穴が開くとヒグマの大群が 雪崩れこんでくるため、ロシア方面を預かる将軍には防御命令を出し、アナトリア、ボスニア 方面を焼きに行かせる。 #ref(biz6-10.png,nolink) #br 1877年6月 頃合いを見て戦線を押し上げる。 そろそろ敵に疲れが見えてきた。 #ref(biz6-11.png,nolink) #br 1877年6月 #ref(biz6-12.png,nolink) トルコとブラジルが降伏。ロシアと戦争が続いているが、ロシアには何も要求していないし、 何も要求されていないので、和平を申し込むことにする。 #br 1877年7月 ロシアと和平。 #ref(biz6-12.png,nolink) ついにこの日が来た。 #ref(biz6-13.png,nolink) #ref(biz6-14.png,nolink) #br ギリシャ政府はビザンツ帝国の復活を宣言。 外交団を通じ、各国の政府に通告した。 #ref(biz6-15.png,nolink) コンスタンティノープルの宮殿では一人の男が満足そうな表情を浮かべていた。 コンスタンティノープルの宮殿では一人の男が満足そうな表情を浮かべていた。 まだまだこれからだ 小さくつぶやかれたその声は、誰の耳にも届かなかった・・・・・ 小さくつぶやかれたその声は、誰の耳にも届かなかった・・・・・ #br