AAR/日本民主主義発達史講座/1
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[[AAR/日本民主主義発達史講座]] というわけで日本です。この時代の日本と言えばサムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリです。そう、江戸時代。 国家元首はチョンマゲを結ったイエナリ・トクガワ。与党の利益団体は影響力四割を超すバクフ集団(地主)。 のちに日本国統合の象徴とされるミカドの勢力は、首都カンサイに閉じ込められ、石高10万石のいち封建領主として、日本の封建支配の一翼を担っておりました。 グランドキャンペーンの始まる1830年代は、史実においては幕末期の政治勢力があらかた出揃った意義深い時代となっております。 ゲームでは綿繰り機も未開発ですが(厳密な意味でのマニュファクチュア時代はどこ?ここ?)、識字率が高く、テラコヤのバフもあるので、技術のキャッチアップは容易な方でありましょう。 資源は大事なものは全て揃っておりますが、ほぼ全部が未開発です。権力や財政には当初余裕がありますので、全土に食糧増産の布告を貼っておきましょう。これで生活水準が上がり、体制派が増加します。天保飢饉は回避され、これにはオシオ・ヘイハチロオも莞爾とします。 日本の法体系は典型的な途上国のそれでして、君主制+専制+世襲官僚+農民召集兵+伝統経済+農奴制という長々としたこのリストから、改革の道は険しく遠いということが伝わるだろうと思います。 地主に加算されるバフは凄まじく、影響力四割超もむべなるかなという感想を抱きます。 また日本は鎖国政策をとっていたことを反映して、孤立経済+国境封鎖という法律が施行されておりまして、移民もこないし、国外市場と取引することもできません。 #ref(ss02.jpg,left,nolink) さて、我らが日本です。親の顔よりも見慣れた1836年の世界地図。隣国の大清Great Qingがすごくおっきいです...。 これはぼくの癖なのですが、日本でプレイする場合、やることがまず二つあります。一つは坊主の指導者である大塩平八郎を追放すること。もう一つは徳川斉昭率いるプチブルに、地主とタッグで政権をつくらせることです。 これでなにをするかというと、プチブルを入閣させることで国境封鎖の法律を移民制限に変更しまして、それでもって扇動者大塩平八郎を招聘するんです。 そうすると大塩平八郎は人気100越えの扇動者なので、以後の改革がスムースにすすむという次第です。v1.7まではこういう序盤手引きを忠実に実行しておりました。 #ref(ss03a.jpg,left,nolink) 扇動者大塩平八郎 #ref(ss04.jpg,left,nolink) 将校兼プチブルの指導者徳川斉昭 というわけで大塩平八郎追放。ちょっとした休暇をとってもらいましょう。 追放された大塩は奴隷制廃止論者にイデオロギー転換しました。これは当たりの部類にはいります。改良主義者でもよいのですが、最悪なのは共和主義者になることです。奴隷制廃止論者だと農奴制を変更できますし、改良主義者だと人種隔離を制定できますが、共和主義者は日本を共和制にすることしか能がありません。 それはそれで興味深い歴史のイフなのですが、ゲーム的にはほとんど意味がありません。ということで共和主義者がハズレ。後のイデオロギーはだいたい当たりです。((大塩平八郎を初手で追放すると、v1.8ではほぼ確実に奴隷制廃止論者になるようになりました。)) さらに徳川斉昭を幕政の要職に就け、移民制限Migration Controlsを審議させます。さらに1837年4月にはこれが可決。 #ref(ss05.jpg,left,nolink) 国境封鎖を廃止。 しかしここでぼくの戦略の破綻が明らかになります。 大塩平八郎を招聘しようとすると、彼が参加する運動は奴隷制廃止論者なので「農民運動である」と予想されるのですが、実際に招聘すると仏教伝統主義運動に合流してしまいます。これでは大塩平八郎を招聘することはできません。残念です。まあ地主と並ぶ不人気IGである坊主が人気のある指導者によってつよくなりすぎるのを未然に防いだということで、大塩平八郎の追放にも意味がなかったわけではありません。さらに国境封鎖の廃止の方は、別の扇動者を連れてくればいいわけで、意味はあるのです。今回のプレイでは天然物の扇動者が自国から2人生えてきてスロットを埋めてしまいましたが、初手プチブル入閣からの移民制限可決は依然、一つの戦略だろうと思います。 徳川斉昭のプチブルを政権に入れることで通過させられる蓋然性のある法律は、さきにあげた移民制限(国境封鎖の廃止)と、国民衛兵(National Guard)、および任命官僚制(Appointed Bureucrats)です。徳川斉昭はジンゴイストでもあるので職業軍人や植民地搾取も審議できます。ただし彼の引退は早く訪れるので、いまあげた法律のすべてを通過させることは難しいでしょう。 ということで1838年10月には国民衛兵を可決しました。折しも隣国大清では阿片戦争が起こっており、その情報を伝え聞いていた幕府は沿岸防備隊を組織して外敵の侵略に備えたと言われております。これが国民衛兵です。 さらに綿繰り機を経て、研究をすすめていた軍事技術の戦列歩兵が1841年7月には解禁されます。1844年4月には小火器工場が竣工し、近代武器の供給が開始されました。このタイミングで幕府は保有軍隊100大隊のうち、関西保有の20大隊を分離し、戦列歩兵にアップグレードします。この20大隊は幕府の虎の子で、来るべき将来の戦争では上陸作戦などの攻勢作戦に運用する予定です。これに合わせて20隻を目指して海軍増強も始めたいです。20大隊の名称は「見廻り組Mimawari Gumi」とします。将校には、首都関西は京都の駐在奉行だった鳥居耀三を就けます。 #ref(ss06.jpg,left,nolink) 見廻り組。 1842年6月、扇動者のはいったリベラル運動が育ってきたので、これに後押しされるかたちで任命制官僚を審議していると、これが難なく可決してしまいました。課税キャパシティが増加し、幕府の財政はこれでぐっとラクになります。同年7月、征夷大将軍徳川家斉死去。後継者は徳川家慶。 将軍徳川家慶の治世は苦難の時代でした。 彼が1842年7月に征夷大将軍になった翌1843年、関係改善をすすめていたイギリスが日本の外交官を追放します。 将軍は、これに危機感を覚えて1844年4月に竣工した小火器工場の登場に合わせて見廻り組を戦列歩兵にアップグレードすることを開始しますが、その直後の1844年5月、イギリス海軍が黒船を派遣して浦賀に現れ、「日本への投資権」を求めた最後通牒をおくってきます。黒船来航です。イギリスの甲鉄艦と散兵には敵わないと見た日本幕府は、開国を決断します。イギリスの投資権を認めたことで、日本の孤立経済は自由貿易に強制的に変更され、外国商品の流入により財政が赤字になります。さらに翌6月には「The Opening of Japan」のイベントが発生し、幕府(地主)の影響力が失墜。正統性は危険水準に落ち込みます。そこで与党は、坊主と平民(農民)にすることとして、地主とプチブルには野党になってもらうことにしました。 #ref(ss07.jpg,left,nolink) 日本の開国。 これまで将軍を補佐していたプチブル指導者の徳川斉昭公はここで失脚し、その2年後に蟄居先で失意のうちに死去します。
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[[AAR/日本民主主義発達史講座]] というわけで日本です。この時代の日本と言えばサムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリです。そう、江戸時代。 国家元首はチョンマゲを結ったイエナリ・トクガワ。与党の利益団体は影響力四割を超すバクフ集団(地主)。 のちに日本国統合の象徴とされるミカドの勢力は、首都カンサイに閉じ込められ、石高10万石のいち封建領主として、日本の封建支配の一翼を担っておりました。 グランドキャンペーンの始まる1830年代は、史実においては幕末期の政治勢力があらかた出揃った意義深い時代となっております。 ゲームでは綿繰り機も未開発ですが(厳密な意味でのマニュファクチュア時代はどこ?ここ?)、識字率が高く、テラコヤのバフもあるので、技術のキャッチアップは容易な方でありましょう。 資源は大事なものは全て揃っておりますが、ほぼ全部が未開発です。権力や財政には当初余裕がありますので、全土に食糧増産の布告を貼っておきましょう。これで生活水準が上がり、体制派が増加します。天保飢饉は回避され、これにはオシオ・ヘイハチロオも莞爾とします。 日本の法体系は典型的な途上国のそれでして、君主制+専制+世襲官僚+農民召集兵+伝統経済+農奴制という長々としたこのリストから、改革の道は険しく遠いということが伝わるだろうと思います。 地主に加算されるバフは凄まじく、影響力四割超もむべなるかなという感想を抱きます。 また日本は鎖国政策をとっていたことを反映して、孤立経済+国境封鎖という法律が施行されておりまして、移民もこないし、国外市場と取引することもできません。 #ref(ss02.jpg,left,nolink) さて、我らが日本です。親の顔よりも見慣れた1836年の世界地図。隣国の大清Great Qingがすごくおっきいです...。 これはぼくの癖なのですが、日本でプレイする場合、やることがまず二つあります。一つは坊主の指導者である大塩平八郎を追放すること。もう一つは徳川斉昭率いるプチブルに、地主とタッグで政権をつくらせることです。 これでなにをするかというと、プチブルを入閣させることで国境封鎖の法律を移民制限に変更しまして、それでもって扇動者大塩平八郎を招聘するんです。 そうすると大塩平八郎は人気100越えの扇動者なので、以後の改革がスムースにすすむという次第です。v1.7まではこういう序盤手引きを忠実に実行しておりました。 #ref(ss03a.jpg,left,nolink) 扇動者大塩平八郎 #ref(ss04.jpg,left,nolink) 将校兼プチブルの指導者徳川斉昭 というわけで大塩平八郎追放。ちょっとした休暇をとってもらいましょう。 追放された大塩は奴隷制廃止論者にイデオロギー転換しました。これは当たりの部類にはいります。改良主義者でもよいのですが、最悪なのは共和主義者になることです。奴隷制廃止論者だと農奴制を変更できますし、改良主義者だと人種隔離を制定できますが、共和主義者は日本を共和制にすることしか能がありません。 それはそれで興味深い歴史のイフなのですが、ゲーム的にはほとんど意味がありません。ということで共和主義者がハズレ。後のイデオロギーはだいたい当たりです。((大塩平八郎を初手で追放すると、v1.8ではほぼ確実に奴隷制廃止論者になるようになりました。)) さらに徳川斉昭を幕政の要職に就け、移民制限Migration Controlsを審議させます。さらに1837年4月にはこれが可決。 #ref(ss05.jpg,left,nolink) 国境封鎖を廃止。 しかしここでぼくの戦略の破綻が明らかになります。 大塩平八郎を招聘しようとすると、彼が参加する運動は奴隷制廃止論者なので「農民運動である」と予想されるのですが、実際に招聘すると仏教伝統主義運動に合流してしまいます。これでは大塩平八郎を招聘することはできません。残念です。まあ地主と並ぶ不人気IGである坊主が人気のある指導者によってつよくなりすぎるのを未然に防いだということで、大塩平八郎の追放にも意味がなかったわけではありません。さらに国境封鎖の廃止の方は、別の扇動者を連れてくればいいわけで、意味はあるのです。今回のプレイでは天然物の扇動者が自国から2人生えてきてスロットを埋めてしまいましたが、初手プチブル入閣からの移民制限可決は依然、一つの戦略だろうと思います。 徳川斉昭のプチブルを政権に入れることで通過させられる蓋然性のある法律は、さきにあげた移民制限(国境封鎖の廃止)と、国民衛兵(National Guard)、および任命官僚制(Appointed Bureucrats)です。徳川斉昭はジンゴイストでもあるので職業軍人や植民地搾取も審議できます。ただし彼の引退は早く訪れるので、いまあげた法律のすべてを通過させることは難しいでしょう。 ということで1838年10月には国民衛兵を可決しました。折しも隣国大清では阿片戦争が起こっており、その情報を伝え聞いていた幕府は沿岸防備隊を組織して外敵の侵略に備えたと言われております。これが国民衛兵です。 さらに綿繰り機を経て、研究をすすめていた軍事技術の戦列歩兵が1841年7月には解禁されます。1844年4月には小火器工場が竣工し、近代武器の供給が開始されました。このタイミングで幕府は保有軍隊100大隊のうち、関西保有の20大隊を分離し、戦列歩兵にアップグレードします。この20大隊は幕府の虎の子で、来るべき将来の戦争では上陸作戦などの攻勢作戦に運用する予定です。これに合わせて20隻を目指して海軍増強も始めたいです。20大隊の名称は「見廻り組Mimawari Gumi」とします。将校には、首都関西は京都の駐在奉行だった鳥居耀三を就けます。 #ref(ss06.jpg,left,nolink) 見廻り組。 1842年6月、扇動者のはいったリベラル運動が育ってきたので、これに後押しされるかたちで任命制官僚を審議していると、これが難なく可決してしまいました。課税キャパシティが増加し、幕府の財政はこれでぐっとラクになります。同年7月、征夷大将軍徳川家斉死去。後継者は徳川家慶。 将軍徳川家慶の治世は苦難の時代でした。 彼が1842年7月に征夷大将軍になった翌1843年、関係改善をすすめていたイギリスが日本の外交官を追放します。 将軍は、これに危機感を覚えて1844年4月に竣工した小火器工場の登場に合わせて見廻り組を戦列歩兵にアップグレードすることを開始しますが、その直後の1844年5月、イギリス海軍が黒船を派遣して浦賀に現れ、「日本への投資権」を求めた最後通牒をおくってきます。黒船来航です。イギリスの甲鉄艦と散兵には敵わないと見た日本幕府は、開国を決断します。イギリスの投資権を認めたことで、日本の孤立経済は自由貿易に強制的に変更され、外国商品の流入により財政が赤字になります。さらに翌6月には「The Opening of Japan」のイベントが発生し、幕府(地主)の影響力が失墜。正統性は危険水準に落ち込みます。そこで与党は、坊主と平民(農民)にすることとして、地主とプチブルには野党になってもらうことにしました。 #ref(ss07.jpg,left,nolink) 日本の開国。 これまで将軍を補佐していたプチブル指導者の徳川斉昭公はここで失脚し、その2年後に蟄居先で失意のうちに死去します。
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